那由多の果て

伝埜 潤の遺産。小説になり損なったフラグメントと、日々の連れ連れ。

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迷い子3 アスカロン11

ひっさびさ。ミカの武器お披露目。



屍喰鬼に遭遇するのは、はじめてだった。何せ一年生である。だがそれが己が命を脅かすモノだと、全員が知っていた。
「シド?」
歩くほどに顔面を白くしていくシドニオに、ヤンはか細く声をかける。ぎこちなく振り返ったシドニオの唇は紫だ。吐き出される呼気は不規則で、眼球が泳いでいる。
無理もない。普段、シドニオは己の能力を鎖している。そうでなければ制御できない大量の意思と情報が、シドニオの精神を破壊するからだ。サトリの能力は両刃の剣である。上手く使いこなせれば心強いが、未だシドニオにはそれができない。結果、ここにいる全員の怯懦と焦燥、恐怖がないまぜになった感情が、シドニオの精神を常に苛んでいる。加えて、屍喰鬼だ。シドニオは奴らの動向を探るために、全方位に感覚を開いている。人外の感情をも掬いとるシドニオの辛さを、しかし誰も肩代わりできない。
「だい、じょうぶ…奴ら、さっきまで、僕らがいた場所にいる、みたい。臭いで、追われてるんだ…早く、できれば、水を渡るか何かして…臭い、を途切れさせ、ないと、」
無理をして作った引き攣り笑いを貼り付け、シドニオは言う。ヤンはナイゼルと顔を見合わせた。限界だ。
「ブラガ。もういいよ。サトリの能力を鎖せ」
ナイゼルが促す。だがシドニオは紫の筋が入った目を見開き、首を振った。
「だ、めだ。だって、」
「だっても明後日もあるかよ。逃げ切れても、お前がだめになっちまう。それじゃ意味ないだろ」
ナイゼルの強い口調に、ヤンも頷いた。しばらく視線を行き来させていたシドニオは、やがてがくんと膝をついた。がたがた震える上体をヤンが支える。切迫した呼吸音。過呼吸を引き起こしかけていた。
「う、あ、ごめ、」
「謝らないで。僕たちの方こそ、ごめんね」
シドニオの灰色の髪から滴る冷や汗を拭って、ヤンとナイゼルが両側から肩を貸す。緊張の糸が切れ、完全に腰が砕けているシドニオは一人で立てなかったのだ。
「とりあえず、水場を探そう。臭いを追われたら逃げ切れない」
ヤンの言葉に、ナイゼルが野戦服の上着を脱いだ。唐突な行動に、ヤンはぽかんと口を開ける。そうする間も、ナイゼルは脱いだ上着で汗を拭い、更にその上着を周囲の岩や木の幹に擦り付けた。
「うおらっ、と」
挙げ句、丸めた上着を何もないところに投げ捨ててしまう。それも渾身の力で振りかぶって投げた。やや離れた場所で、ぼすっと鈍い落下音。
「引っ掛かってくれるといいんだけどな」
ごくごく簡易な誤魔化し、気休めにさえならない。だが、一年生が必死に考えた末の行動である。ヤンは微かに笑い、ナイゼルに頷いた。
「行こう。逃げ切るよ」
ナイゼルの首が縦に振られる、それが酷く頼もしかった。

「下がれアルケイド!」
無口で沈着なミハイルの、滅多にない怒号。アルケイドのしなやかな身体が跳び上がる。その身体の残像を貫き、幾本もの鋼銀の鎗が疾った。ぎゃりりぃいんと音を立てながらそれが掠めたのは、黒い鱗の塊だった。
「だぁあ!見えねぇ!」
つい先程、眼球に甚大な負担を被ったミカの目は、明暗に弱くなっていた。まして、出血の酷かった右目――利き目は白い眼帯に覆われている。平衡感覚が掴めない。
「ミカ、右だ!」
ユハの声を頼りに、ミカは鋼鎗を操る。ミカは地中の金属を練り上げ、それを操っていた。輝く鋼の奔流が、幾枝にも別れて空を裂く。
ミカの骨格は組成が特殊なことに、金属が多分に含まれている。己の体内の金属を振動させ、磁力を帯びさせることで、ミカは体外の金属分子を操れる。言わば人間磁石なのである。
「なら見えるようにしてやる!」
言うや否や、青い炎が舞った。リチャードの矢は鬱蒼たる森を焼き、黒い巨体を浮かび上がらせた。ミカの操る鋼鎗がぐにゃりと首を擡げ、殺到する。一つの束に戻った鎗は、黒竜の放つ熱に勢いを弱めながらもその四肢を土に縫い留める。ぐぅんと旋回した長い尾は、エレジアの鎖が搦め捕った。地に足をめり込ませ、エレジアは歯を食い縛る。モーニングスターを操るエレジアの膂力は、五年生の内でもずば抜けていた。黒竜の目がぎょろりと瞳孔を細め、噛み合わさった牙の間からしゅうしゅうと白い蒸気が上がる。
「させるか」
土を蹴ったミハイルが、竜の頭めがけて跳んだ。左右の眼球の間に着地、落下の勢いを借りて愛剣を竜の上顎から貫通させ、その口を閉じた。どぷりと溢れた王水が細かな飛沫となり、その肌を灼く。だがミハイルは顔色一つ変えない。憤怒に輝く黄色い眼球の前で、姿勢を崩さないまま叫ぶ。
「やれバレンシア!」
バレンシアの大鎌。地を滑るように竜の首を抱え込んだその刃は、しかし鮮血に染まることはなかった。
「離れろ二人とも!」
切迫した声で叫んだのはユハである。その傍らで身体を痙攣させ、地に臥しているのは金灰色の髪、ミカだ。
「っ、」
黒竜の四肢に突き立った鋼鎗が形を失う。自由になった四肢を踏み締めた竜は、力強く尾を振るった。鎖で繋がったエレジアの足が宙に浮く。モーニングスターの長柄を手放す間もなく、地に叩きつけられる。
「ぐぁ、っ!」
「エレジア!」
振り下ろされる尾に叩き潰されるより一瞬早く、エレジアをアルケイドがさらっていた。苦鳴を上げるエレジアはしかし、必死に顔を上げてミカの様子を確認する。
ごぽりとミカの喉が鳴り、血の塊が吐き出される。その周囲にはユハが結界を構築していた。
竜の口を閉じていたミハイルが跳ね飛ばされ、竜が咆哮する。灼熱の、強酸性の蒸気が辺りに満ちる。咳込みながら、ユハは眼前に白い手を翳して黒い巨体を睨んだ。
「ユハっ!?」
バレンシアが声を上げる。その声と同時、王水の息吹が見えざる壁にぶつかった。白煙を上げながら灼け溶けていく土と木々。そのなかでもユハの砦は辛うじて持ちこたえた。ユハの額に玉の汗が浮かぶ。翳された白い指が、指先から火傷に覆われていく。その様を見た五年生たちは血の気を失った。中でも激昂したのはバレンシアである。
「きさまぁぁぁあああ!」
黒い髪を逆立て、ベリルの双眸を燐光の如く煌めかせ走る。レコンキスタを握る拳は白い。怒りのあまり見境を無くすのは、バレンシアの最たる欠点だった。
「っの、馬鹿!」
焦香の髪を靡かせ、すぐさまエレジアが後を追う。その二人とは正反対に、ミハイルとアルケイドは結界に走り寄る。リチャードの番えた矢が竜眼を潰す。途端に鋭い哭き声を上げた黒竜は、激しく暴れ始めた。のたうつその身体を、エレジアの星が襲う。鎖を引き擦る金属音。
「さぁ膳立てはしてやったぞバレンシア!」
エレジアが怒鳴る。鎖に引かれ、晒された首。逆向いた鱗が見える。そこが竜の急所だ。バレンシアが湾曲した刃を、長い首に添わせる。走る勢いそのまま地を蹴り、長柄を掴んで空で反転、旋回する断首の大鎌。金属が硬質を噛む。ぢぎ、と耳障りな音と共に、バレンシアの両腕が振り抜かれた。
刎ねられた首が高く宙を舞う。王水の滴が飛び散り、辺りで音を立てた。





ある意味、ヤンが主人公になる契機が、このエピソード。大事に書かねば。
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