那由多の果て

伝埜 潤の遺産。小説になり損なったフラグメントと、日々の連れ連れ。

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サンクチュアリ2

昔々、「白い花の咲く杏の木の下で、捨てられていた赤ん坊に乳を含ませる泥棒」という絵本を見たことがある。本当のタイトルは忘れたし、残念ながら中身がどんなストーリーだとかは一切わからないのだが、それをモチーフに書いてみたいなぁと思っていた。




「で、あんたは?」
「ただの通りすがりだ」
痩せて禿げた神父は、赤ん坊と若い男を交互に見、眼鏡をずり上げた。
「よく似とるが、あんたの子じゃないのか」
言われて目を落とせば、双子の目は翠緑で、髪はふわふわの栗毛。確かに、クリスの容貌も翠眼に茶髪だが、そんな子どもは世の中にたくさんいるはずだ。申し訳ないが、と神父が背を向ける。
「うちは孤児の引き取りはやってない。世話する人間がいないからな」
「待て待て待て!だからってこの雪の中どこへ行けってんだよ!」
足の裏が痺れるようだった。寒さからではない。罪悪感からだ。教会などクリスが――殺し屋が、踏み込んでいい場所ではない。百も承知だが、仕方がなかった。ただこの雪が止むまでは屋根を貸してほしいと、クリスは切実に願った――腕の中にいる、ふたつの温もりのために。
「雪が止んだら、都市の大きな孤児院に連絡するさ。それまではあんたもここにいろ。俺みたいな年寄りひとりじゃ、赤ん坊ふたりも面倒見られないからな」
神父はそのまま、ミルクを温めに行ってしまった。
「よかったな、お前らちゃんと行くところがあるらしいぞ」
両腕にそれぞれひとりずつ、抱いた赤ん坊に話しかける。両腕を完全に塞いでしまうなど、本来なら絶対に避けるべき行為だというのにクリスは構わなかった。むにーっと頬を引っ張られ、思わず苦笑を零す。
赦されたいわけではない。今までやってきたことから、逃れるつもりもない。罪滅ぼしなんて、それこそエゴだ。赤ん坊ふたり助けても、クリスにはそれ以上に殺してきた過去がある。今夜にしてもそうだった。教会など踏み込んでいい場所ではない。わかっている。
わかっているけれど、ジーザス――俺はここにいてもいいのだろうか。
感傷的なクリスの気分に、赤ん坊の体温は心地よく染みた。教会の中は暖炉のおかげで温かい。さっきよりも活発になった双子は、やりたいほうだいにのクリスの頭を掻き回した。その産着に、よく見れば刺繍がしてある。
「ニールと、リーアムか…お前ら、本当に俺と同郷だな」
いずれも故郷の名前だった。懐かしい響きに、今日の俺はどうかしているとクリスは頬を緩めた。ライ麦で中毒になるほど、この国に染まったつもりはなかったのに。
「おい、」
やわらかな感情が明確になる前に、老神父の厳つい声が思考を遮った。
「悪いが表に警察が来てる。出てくれないか」
哺乳瓶を手に戻ってきた神父の台詞に、クリスの笑顔が凍りついた。

『逃げろクリス、』
冷えていく腕から赤ん坊を解放し、言われたとおりに表へ向かう途中だった。電話越しに聞こえる仲介屋の声は、いつになく引き攣っている。
『あンの依頼人、自首して洗いざらいぶちまけやがった。ルートを割り出されちまって、危うく捕まるとこだったぜ。確定じゃあないが、誰かが情報を売りやがった。お前もすぐに逃げねぇと危ねぇぞ』
「あぁ――もう、手遅れだ」
完全に、手遅れだ。連絡感謝するとだけ告げ、クリスは電話を切った。
「坊や、お前は仲介しただけだし、業界の情報を持ってる。利用価値は高いから、何とかなるだろうさ」
ひとりごち、クリスは手袋のない両掌を広げた。大きな正面扉の前に立ち、掌を見つめ、自問する。
俺は実行犯だ。この手で、殺した。金のためにしたことだ、酌量の余地はない。逃げるなら今だ。今しか、逃げられない。今なら、逃げられる。この扉を開ける必要も、俺がここにいる必要も、ない。

それなのに、どうして、

「神父さーん、凶悪な殺人犯が入り込んでる可能性があんだよー。中を見せてもらえたらすぐに帰るからさー…うー寒ィ」

どうして俺は、逃げようとしないのだろう。

「神父さーん、頼む寒いから早く開けてくれー…!」
間延びした声は、警官のものらしい。顔まで知れているとは思わないが、クリスはは扉を開けられなかった。開けられないのに、なぜ、逃げようとしない。クリスの自問は続く。矛盾している。矛盾している、のに――ふにふにした掌だとか、故郷の名前だとか、焦ってしまうくらい盛大な泣き声だとか、ほこほこ湯気が立つくらい温かい身体だとか、ぱたぱた動く手足の小ささとか――やわらかい感情は、明確になってしまった。
あの赤ん坊たちが、ニールとリーアムが、愛おしい。ふたりをここに置いて逃げたくない。
「性質が悪ィ、」
両手で顔を覆って、クリスは自分を嘲笑した。咎められるべき、この俺。やりなおしができる人生だったとは思えない。誰も傷つけずにここまでくることは、クリスにはできなかった。自分のエゴで人を傷つけてきた存在が、あのふたりを愛おしい、なんて――性質の悪いお笑いだと、自嘲する。
「おい、あの赤ん坊ふたりとも、お前さんの姿が見えなくなった途端に泣き出しやがって――どうした?」
追いかけてきた神父の険しい表情を見返し、クリスは小さく笑った。
「俺を捕まえに来たらしいんだ」
親指で扉を示し、銃を取り出して見せる。それで全てを察した神父は、がしがしと白髪頭を掻いた。
「で?俺を殺して、逃げるつもりかい?」
落ち着き払った態度に面食らいながら、クリスは首を振った。
「あんたに死なれたら、あいつらふたりはどうなるんだよ」
「なら奥へ戻れ。ミルクやってこい」
「――ちょっと待て、何言ってんだよ、俺は、」
言い募るクリスに、神父はずいと人差し指を突きつけた。
「教会は聖域だ。ここにいる間は罪を犯していても、聖なる保護が与えられ、世俗権力からの干渉を免れることができる――随分と古臭い考えだがな」
「っ、」
息が止まる。ずきずきと痛むのが何なのか、わからなかった。赦されたいわけでも、逃れたいわけでもなかった。それなのに、クリスは守られていた。この教会に、あの赤ん坊ふたりが導いた聖域に。
「――ニール、リーアム…かみさま、」
愛してる。ならば尚のこと、思い知る必要がある。
「あの赤ん坊たちを、頼むよ爺さん。名前は産着に刺繍してあるから、見てやってくれ」
清しい思いで、クリスは扉に手をかけた。
俺は、俺の罪咎を思い知らなければならない。
ここから出て、向き合わなければならない。この場所にいれば、俺は安心していられる。ふたりの赤ん坊への愛しさを、ただ噛み締めていられる。だが、それではだめなのだ。
「せっかく逃げ道を用意してやったのに、難儀な性格だな」
神父がやれやれとばかりに笑った。赤ん坊の泣き声が大きくなっている。踵を返しながら、神父は不意に聞いた。
「お前さん、名前は?ファミリーネームは持ってるか?」
「――オブライエンだ。クリストファー、オブライエン」
答えながら、クリスは手に力を込めた。遠ざかる神父の足音。一度だけ振り返れば、ひらひらと手を振られた。
「赤ん坊ふたりは老体には厳しいが、何とかするさ。心配するな」
ふたりの小ささ、やわらかさ、温かさ――それに対する愛しさを、クリスは噛み締める。
愛してる。会って間もない双子、けれど際限なく愛おしい。だからこそ、俺はここから出る必要がある――次に出会うとき、ふたりを躊躇いなく抱けるように。
ただそれだけを思い、クリストファーは安心を手放した。
「メリークリスマス、御勤めご苦労様」
眠たげな警官に明るく声をかけて、両手を差し出す。
「俺はクリス――あんたらが探してる、凶悪な殺人犯だ」

次に出会ったときには、ふたりを躊躇いなく抱けますように――そのためなら、たとえ、聖域と引き換えにしてでも、



終。

BGM:kokia『安心の中』
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