那由多の果て

伝埜 潤の遺産。小説になり損なったフラグメントと、日々の連れ連れ。

<< December 2018 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >>
<< 給油。 | main | 夏に向け。 >>

迷い子5 アスカロン13

ざ、くり。

音を立てて斧が食い込んだのは、ヤンの首筋でも、背中でもなかった。
「え?」
ぶしゃあ、と噴き出した粘性の液体がヤンの全身を濡らした。どす黒いそれは、屍喰鬼の血だ。
「え、ぇ、あ、」
ヤンの正面で、屍喰鬼は自らの首に斧を打ち込んでいた。ヤンの目が見開かれる。瞬間、屍喰鬼の腕が隆起し、裂けた口が苦悶の叫びを上げる。
「ヤンっ!!」
ナイゼルの声にヤンがびくりと身を震わせた。その眼前に、ごとりと重いものが落下する。屍喰鬼が自ら切断した、屍喰鬼の頭だった。
雨のように降り注ぐ黒血を浴びても、ヤンは動かない。微動だにしないその姿に違和感を感じ、駆け寄ったナイゼルはヤンの顔を覗き込む。どこか傷を負っていないか、傷つけられていないか。だがそれを確認する前に、声を失った。
緋色の目。白い瞳孔から目の縁に向かって、徐々に色を濃くしていく緋。一点を除いて、眼球全てが緋い。それは異形の目だった。異形の緋い目で、ヤンは泣いていた。
「ヤン、」
「…ない、で」
頭を振ったヤンが、ナイゼルから顔を背けた。
「見ないでよ!」
視線の先には、屍喰鬼。仲間の声を追ってやってきたのだ。それを見たヤンの目が再び見開かれる。空洞の目と、緋がかちあう。響く悍ましい鳴き声は、悲鳴と苦鳴だった。ヤンの目を見た屍喰鬼が次々に己の身体に斧を打ち込んでいく。何度も繰り返し、息絶えるまで斧を振り下ろす。その腕は限界を超えた動きを見せ、異常だ。
これは、ヤンの仕業か?
ナイゼルは混乱していた。ヤンの目は、名前のとおりのスラヴ系の灰色だったはずだ。栗色の髪に濃い曇天色の瞳の穏やかな少年、それが、ナイゼルから見たヤンだ。だがヤンが行っているのは、これがヤンの緋色の目が齎したというのなら――これは、紛れも無い虐殺だ。
これがヤンの内に潜んでいたのか。
ぞわりと背中を粟立たせ、ナイゼルはそれでもヤンの傍を離れなかった。
「ブラガ、大丈夫か?」
起き上がり、状況を把握できずに呆然としていたシドニオは、ナイゼルの声に我に帰った。這いずるようにして傍に寄ってくる。
「な、にが、起きてる?屍喰鬼は、」
「わかんねぇ。けど、今の内に逃げる算段つけるぞ」
頷いたシドニオがもう一人を助け起こし、そろりと動き出す。ナイゼルは再びヤンに向き直る。
「ヤン、」
「な、」
ヤンは顔を背けたままだ。ナイゼルはその顔を両手で挟んで、視線を合わせた。ヤンの緋の眼とかちあった、ナイゼルの鮮やかな青。狭窄したヤンの視界に入る、久方の色だった。腫れたヤンの目蓋を、ナイゼルはそっと下ろした。
「ヤン、逃げるぞ。立てるか?」
頬を涙で濡らしたまま、ヤンは頷く。ナイゼルの背後で、血まみれの腕がぴくりと動いた。
「アーネンベルク!」
シドニオが警告したときには、屍喰鬼は立ち上がっていた。ヤンと目を合わせていた時間が短く、首についた傷が浅い。吐きかけられる咆哮と共に、血混じりの唾液が飛び散る。ヤンに肩を貸したナイゼルが舌を打つ。
「この面倒くせぇときに…!」
恐怖を感じる以上に、ナイゼルは苛立っていた。屍喰鬼すら、今のナイゼルにとっては鬱陶しく横槍を入れる邪魔者だ。今、ヤンはそれどころではないのだ。ヤンが目を開けようとする気配を悟って、ナイゼルはその目蓋を押さえ付ける。
「開けんな!」
「でも!」
「でももストもあるか!開けんなったら開けんな!」
やや高圧な物言いだが、ヤンはぎゅっと唇を引き結んで、掠れ声で囁く。
「あり、がと…」
だがその頭上では、屍喰鬼が口を開けている。ヤンの頭を抱きしめ、ナイゼルの青が屍喰鬼に睨みつける。
「伏せていろアーネンベルク!」
この場にいないはずの人の声と共に、弓弦が鳴った。青い、明らかに何らかの力を持った炎が上がる。屍喰鬼を包み込んだ炎は、その身体を炭化させるまで消えなかった。
「無事か!?」
肩を激しく上下させ、二人を抱き寄せたのは『杖』寮第五学年、リチャード・パーシヴァルだった。黒竜の始末もそこそこに、屍喰鬼の痕跡を追ってきたのだ。
「せ、んぱぃ、」
ナイゼルがヤンの頭を抱えたまま、声を絞る。僅かに掠れた声に、リチャードは唇を噛み締めた。
「遅くなって、すまなかった…!」
蠢く屍喰鬼は、まだたくさんいた。仲間が仲間を呼んだのだ。だがもう怖がることはない。
「もう怖い思いはさせない」
リチャードが、ぎらりとその翠眼を瞬く。鋭く響いた打撃音。ぬかるみに着地する、軽快な足音が二つあった。
「先行するなら言ってから行け」
「いいじゃないか、ミーヒャ。それより片付けてしまおうよ」
すら、と長杖を構えるアルケイドと、無言で踏み出すミハイル。『刃』寮の五年生二人だ。アルケイドの黒耀石がゆっくり細まる。
「一年生はリチャードの傍にいておいで。あんまり見せたいものじゃない」
言うや、その身体がつむじ風と化した。いつの間にかアルケイドの上下が反転している。旋回した下半身、伸ばされた脛が屍喰鬼の頭を熟れた果物のように割り砕く。黒い短髪がはためき、その度にアルケイドの四肢は屍喰鬼を捉え、肉を爆ぜさせる。
「対竜戦闘では何もできなかったからね!」
「だからと言って、張り切りすぎるのもどうかと思うが」
生き生きと身体を使うアルケイドに対し、ミハイルは淡々と屍喰鬼を屠っていく。冷静に状況を見ていた感情の乏しい目が、ふっと瞬く。ひゅ、と刃から血を払い、そのままミハイルは剣を引く。
「終わったぞ、リチャード」
ぬかるみに広がる濃い血臭。累々と転がる化け物の死体に、一年生は声を失っている。
「ヤン、大丈夫か?」
目を閉じたままのヤンに、ナイゼルが尋ねる。恐る恐る目蓋を上げたヤンの双眸は、常の曇天だった。ほっとナイゼルが微笑む。ぱちり、と瞬いたヤンは、だが表情を強張らせたまま、呟いた。
「ナイゼル、」
「?どうした?」
震える唇が、血の気を失くしている。ナイゼルが笑みを消した。一年生を抱き起こしていたリチャードが、ただならぬ気配に振り向く。
リチャードは感づいていた。ヤンの背負った先祖帰りが、何なのか。それは、今気づくには少々重い能力だった。アスカロンで竜殺士を目指すなら、ヤンは微妙な立場に置かれるだろう。リチャードは歯噛みする。だが、もはや遅い。屍喰鬼に遭遇していながら、誰も喪わなかったのは幸いだった。だがこれから失うだろう。紛れも無い失態だった。
「ヤン?」
覗き込むナイゼルから目を逸らし、ヤンは緩く周囲を見回す。目が合った『刃』寮の一年生が、喉の奥で引き攣った声を上げて顔を背けた。そのまま茫然と宙空を見つめ、ヤンはぽつりと述懐した。
「僕の目は、何なの…僕は、何者だったの?」
ナイゼルは、それに答えられなかった。





ナイゼルの発言は、なぜか昭和の香りがする(笑)
アスカロン / comments(0) / - / 伝埜 潤 /
Comment