那由多の果て

伝埜 潤の遺産。小説になり損なったフラグメントと、日々の連れ連れ。

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緋の眼3 アスカロン16

定刻を少し過ぎたばかりの食堂は、昼食を摂る生徒でごった返していた。
「ドライスラフ…ごめんな」
沈鬱な表情で呟いたシャリースの盆の上には、スパニッシュオムレツ。ヤンは苦笑する。
「いいよ。僕がぐずったのが悪いんだ。それとシャリース、ヤンでいいよ」
「今その会話すんのかよ…。それより、座る場所だ。探さねぇと。ラングフィールドは?」
言いながら視線を迷わせるナイゼルの盆にはミネストローネ。赤いスープを零さないように身体を反転させたナイゼルを、離れたところからチェイスが手招く。もうすぐ食べ終わる一年生の集団がいたのだ。ぞろぞろと連なってその机まで辿り着いたヤンの盆に、クリーム煮はない。既に残っていなかったのだ。代わりにヤンは、ナイゼルと同じミネストローネを取った。
「ありがとうなチェイス!」
席を確保していたチェイスの分の食事は、シャリースが自分の盆に載せていた。無論、同じスパニッシュオムレツである。それを受け取りながら、チェイスは少し眉を寄せていた。逃げるように席を空けた同級生の様子に、居心地の悪さが過ぎる。
「ドライスラフ」
「僕は大丈夫だ、チェイス。君たちがいるんだから。それよりヤンでいいよ。長いだろ」
席に着いた四人の周りからは、潮が引くように人が離れ、ぽっかりと穴が空いた。気遣うように声をかけるチェイスに、ヤンは笑って答えた。視線や陰口が気にならない訳ではない。だがヤンはもう、何も怖くはなかった。
「あ、バレンシア!ここ空いてる!」
不意に場違いに明るい声が、漂う気まずさを打ち払った。
「混んでるのに、何でここだけ空いてるのかな?あ、隣いい?」
あっけらかんと尋ねたのは、背は高いが華奢な上級生だ。ネクタイの色は藍色、第五学年の色である。その五年生の目を見、ヤンは思わずスプーンを落とした。
「お腹空いたね」
「にしては御機嫌だな。そんなに嬉しいか?クリーム煮」
満面の笑顔に、唇を緩めて答えたのは緑瞳の五年生、『弦』寮のバレンシア・グラーチアである。ちなみにバレンシアは、手羽先の香味揚げとクリーム煮の二つの盆を持っていた。
「お子様味覚だよなぁ、ユハは。ほら、」
「あ、ありがとう、だけど一言多いよ。悪かったね、嬉しいさ!普段あんまり残らないメニューだもん。あ、」
バレンシアに盆を置いてもらって、心底幸せそうなその五年生――『弦』寮のユハ・パラスケは、ヤンのスプーンを拾い、首を傾げた。ヤンの目が釘付けだったからだ。ヤンだけではない。ナイゼル、シャリース、チェイスまでもが動きを止めていた。不思議そうに瞬きをし、ユハはヤンに尋ねる。
「えーと、僕の顔に何かついてる?」
何かついてる、も何も。一年生たちは思う。
「いえ…」
包帯がきっちりと巻かれた細い指。その指が差し出すスプーンを受け取りながら、ヤンはユハを見つめる。
ユハは、いわゆる白色変異、アルビノである。双眸は鮮やかな朱色。首を傾げた拍子に長い白髪が肩を滑る。磁器のような肌も髪に劣らず白い。自分を凝視する一年生に、ユハは微笑んだ。
「クリーム煮は好き?」
「え、あ、はい」
「じゃ、ミネストローネとこれ、交換してくれる?」
ユハが差し出した深皿は、確かにヤンの好物だった。だが先程のユハの幸せそうな様子を見ていたヤンは、慌てて首を振った。
「だ、だめです!」
「そう?でも、僕がミネストローネ食べたいんだ」
ね?と首を傾げたユハの首筋から、長い白髪が落ちた。朱い瞳が細まって、ヤンは少し泣きたくなった。
「…はい。ありがとう、ございます」
「ううん、僕の方こそ」
そのとき、ナイゼルだけが気づいていた。密かに放たれるバレンシアの、殺気にも似た鋭い気配とユハを見る安堵の視線。それはナイゼルにも覚えがある。
「グラーチア先輩、」
ナイゼルはバレンシアを呼んだ。ナイゼルとチェイスは『尾』班、バレンシアと同じ班だ。バレンシアは青緑の瞳をちらりと動かして一年生たちを見た。
「あぁ?アーネンベルク。お前らユハに会うのははじめてか?」
問うバレンシアの様子は、一見普段と変わらなかった。だが万一、ここにいる誰かがユハの容姿について、ユハについて心ない言葉を放ったなら、バレンシアは間違いなく牙を剥くだろう。そんな決意が――ナイゼルがヤンに抱くのと同じ決意が、透けて見えた。
「はい。『弦』寮の先輩ですか?」
「そうだ。『弦』寮第五学年、ユハ・パラスケ。『爪』班所属だから…お前の寮だと、リチャードと同じ班だな」
ナイゼルは頷いた。リチャードは『杖』寮の五年生だ。言いながら、バレンシアの目がユハから離されることはなかった。そのユハはにこにことミネストローネを口に運んでいる。指を負傷しているため、動作はぎこちない。その隣では、幾分やわらかい表情になったヤンがクリーム煮をスプーンですくっていた。和やかな光景だが、やはりユハの白髪と朱眼は強烈な違和感を醸している。
「そうか。あいつは後衛にいたから…顔を合わせてはいないんだな」
バレンシアが呟く。
ユハの容姿は、千差万別のアスカロンでも異様だ。当然、敬遠されただろう。そして今なおバレンシアはそれを懸念している。なかなか食事を始めないバレンシアに、ユハがスプーンで盆を示した。
「冷めるよバレンシア」
「あぁわかってる。それとスプーンで盆を示すな。行儀が悪い。ミネストローネ零すなよ、ユハ。それ、服に付いたら落ちないぞ」
「ひどいなぁ。僕がドジみたいな言い方してさ」
唇を尖らせるユハは、一見酷く無邪気で幼い。だが、彼がかつて、今のヤンと同じような目に遭ったことは、初対面のナイゼルにも想像できた。
「ユハに何かあったら、俺が許さない」
ぽつりとバレンシアが零す。ナイゼルは、その語気の鋭さにびくりと背中を慄かせた。ようやくフォークを手にしたバレンシアは、さくりと香味揚げを突き刺している。
「そのつもりで、五年間あいつと一緒にやってきた。まぁ、俺が手を出すまでもなかったんだけど」
「え?」
「いつの間にか、同じ班にいたアルケイドと仲良くなったり、当時は無口で無愛想で近づき難かったミハイルにくっつきにいったり、ミカと一緒に無断外泊して罰を食らったり。俺一人があいつの味方だなんて気負ってたのが、かえっておかしかったよ。ユハはいい奴なんだ。容姿くらいであいつが孤立すると思ってた俺が、馬鹿だった」
それが今の第五学年だ。それを語るバレンシアはどこか誇らしげで寂しげである。
「それでもいつか、世界が、あいつらが――リチャードやエレジアや、アスカロンの先輩方が敵に回る日が来ても、少なくとも俺だけは掛値なしにユハの味方だ。それをユハは知ってる。だから俺は立っていられる」



ユハの信頼とバレンシアの依存。バレンシアは己の不安定さを自覚しており、ナイゼルに己を重ねている。己と同じ轍を踏ませてはならないと思っている。だがバレンシア自身は己の不安定さを悔いてはいない、という面倒な男。
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