那由多の果て

伝埜 潤の遺産。小説になり損なったフラグメントと、日々の連れ連れ。

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緋の眼4 アスカロン17

ナイゼルはミネストローネをすくいながら顔を上げる。正面に座っているのはヤンだ。栗色の髪を揺らして、濃い灰色の瞳を細めて、控えめに笑っている。
アスカロンにいる以上は、全員が同士だ。敵にはなりえない。なってはならない。だが、もし万が一にも、そんなことがあるとして――世界の誰が敵になっても、俺だけは、掛値なしにヤンの味方でありたい。
ぎゅ、と唇を引き結んだナイゼルの様子にヤンが首を傾げる。
「ナイゼル?」
「うん?」
「…僕は大丈夫だよ、ナイゼル」
ナイゼルは青を見開く。ヤンは唇を緩めて、小さく笑った。
あのときの狭窄した視界の中で、冗談ではなく緋に染まっていく視界の中で――ヤンの意識を貫いたのは、鮮やかな青だった。鮮やかな熱を持った、青い瞳だった。あの青が、ヤンを繋ぎ留めた。そうでなければ、すべてが壊れていたような気がする。すべてを、壊していたような気がする。
あの青が、ナイゼルの青い瞳がこちらを見ていた。一度も逸らさず、この緋い目を見てくれたから、だから大丈夫だよ、ナイゼル。
「僕はもう大丈夫だよ」
ヤンが繰り返すと、ナイゼルはぽかんと口を開けた。やがて、くしゃりと顔を歪めて笑う。
「おう。なら、よかった」
「うん」
『弦』寮の五年生二人はそれを見て、どちらともなく目線を合わせて笑った。
「ごちそうさまでした…あ、ヤン、あれ」
一足先に食事を終えたシャリースは、食堂の大扉を見て目を丸くした。シャリースに促され、そちらを見たヤンが凍りつく。
そこにいたのは実習後に退学した、『弦』寮の一年生――シドニオ・ブラガだった。
「シドニオ…」
シドニオはきょろきょろと辺りを見回し、ヤンと目を合わせた。びくりと身をすくませたのはヤンの方だった。シドニオはそのまま、込み合う人の波を縫ってヤンに近づいてくる。
シドニオは、ヤンの『緋の眼』を見ている。ヤンが屍喰鬼を虐殺する様を、間近で見ている。なのにどうして近くに来るの――僕が怖くないの。僕から遠ざかるために、アスカロンを去ったのではなかったの。
ぐるぐると考え込み、スプーンを握り締めたまま冷や汗を流すヤンに、正面のナイゼルが焦る。
「おい?ヤン!?大丈夫じゃないだろお前、」
「ドライスラフ」
ナイゼルの言葉を遮り、シドニオは声をかけた。ヤンがぎこちなく振り返る。大丈夫だと言ったものの、ヤンの灰色の目は落ち着きなく泳いだままだ。
「ブラガ、お前――」
「戻ってきたんだよ。僕は、アスカロンだ」
ナイゼルの声に、シドニオは凛と答えた。
「退学届を出して、家に帰ろうと思った…屍喰鬼が、怖かった。死ぬかと思った。死ぬのが怖かった…でも、僕は」
きゅ、と一旦唇を噛み、シドニオは続けた。
「僕は、アスカロンだ。こんなところで折れてたまるか」
アスカロン。竜殺しの剣、人の護り手。
人に知られることのない存在だ。だが確固たるその存在が、この世界を保っている。その誇りを胸に、人知れず、生きていくのだ。
「だからさ。またよろしく、ドライスラフ、アーネンベルク。それだけ、言いたくて。二人は残ったって聞いたから。もう再入学の手続きも済んでるんだ」
薄い紫の瞳を細めて、シドニオは言った。ヤンは呆気に取られてシドニオのリシア輝石を見上げた。
「シド、は…僕の目が怖くないの?」
きょとんとした様子のシドニオに、ナイゼルは内心安堵の溜息を吐いた。
「何で?」
「あのとき、屍喰鬼を殺したのは、僕だ」
「…?うん」
「僕は、昔はアスカロンの敵だったんだって」
「うん。それで?」
「だから、」
「じゃあさ、」
ヤンと目を合わせるだけで、死ぬかもしれないのだ。ヤンはかつて竜として討伐された能力者なのだ。怖くないの、と続けようとしたヤンを、シドニオは遮った。
「ドライスラフは、人の心が読めてしまう僕が怖くないの?」
ヤンの曇天が見開かれる。ナイゼルも青を見開いた。
シドニオは、サトリだ。先祖帰りの能力。他人の心がわかってしまう能力。実習のときも、シドニオは己の能力を進んで明かしたわけではなかった。
「僕は嫌だよ、他人に心を覗かれるなんて。だけど僕はサトリだ。意識を開けば、この食堂にいる全員の心がわかってしまう。これは僕が望んで手に入れた能力じゃない。ここでは先祖帰りは、稀有な才能として認めてもらえるけど――スヴェン先輩も、同じことを言ってた。能力があることが、必ずしも幸せじゃないって」
『弦』寮のスヴェン・オールセンも、シドニオ・ブラガも。そして、ヤン・ドライスラフも。
「ドライスラフは、僕が怖いかい?僕の能力は、気味が悪いとは思わない?」
ヤンは首を振った。シドニオの能力は、味方であるならばこの上なく頼もしい。
「それと同じだよ。ドライスラフが、今、ここにいるなら」
さらりと言ってのけたシドニオに、ヤンは微笑み、ナイゼルは若干むくれた。さっきまでナイゼルが言ったことは、なかなか信用しようとしなかったくせに。面白くない顔をしているナイゼルを見てシャリースがひっそりと笑い、青い目に睨まれて口を押さえた。それを目にしたヤンは眉を下げて苦笑した。
ヤンの居場所を示してくれたのは、道標は、あの青だ。ヤンはそれを、永劫忘れはしないだろう。




ようやっと、ヤンが主人公になりました。今までどっちかと言えば、ビルヘルムが主人公らしかったような。第六学年のアクの強い連中が、自己主張し過ぎてたような。アクならヤンも強い、というか、間違いなく能力的には将来最強になれる。ヤンの『緋の眼』は、瞳術と同じ。甲賀忍法帖の弦之助と同じ能力だと思えばわかりやすい、かな?
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