那由多の果て

伝埜 潤の遺産。小説になり損なったフラグメントと、日々の連れ連れ。

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人魚の残映2

続き。



帰投命令を受け、帰ってきた後も、俺はしばらくそのままドラッケンから降りなかった。操縦桿を手放し、深く溜息を吐く。身体が泥のように重い。中尉はもう機体を降りただろうか。いつものように、颯爽と歩き去ってしまったのだろうか。
敵国との戦闘は日に日に激化していた。今日は、共に入隊した新米が逝った。銀翼の破片を振り撒いて、ドラッケンを棺桶に墜ちていった。
――あなたの夢ばかり見る。
ゴーグルを外し、飛行帽を外し、操縦席の中で丸くなる。共同墓地の墓標の中、そのひとつがあなたで俺だ。俺は楔になれない。あなたを地に縛る楔になれない。
――あなたが墜ちる悪夢ばかり見る。
戦争の激化は、地上で日常を暮らす住民たちには、まだ何の影響も出ていない。それだけが幸いだった。

新型戦闘機の披露式典は、素晴らしく大々的なものだった。戦局を打開すべく推し進められたのは、戦闘機及び戦術の改良だ。そして完成した新たな武器は、やはり美しい十字を描いていた。
N0008メロウ。それは我が国初の水上戦闘機だった。着水が可能で、エンジンを停止させれば電池の温存も可能になる。編隊による攻撃を仕掛ける敵国に対して、数で劣るこちらは奇襲と一対一で戦うしかない。万一深追いしても、無茶な切り込みをしても、逃げきって生還するための機体だ。速度に関する性能は、敵国のそれとほぼ同じにまで引き上げられた。最高到達速度に至っては、敵国をはるかに凌駕する。
それが披露されたとき、軍内で唯一、歓声を上げなかった人がいた。
「メロウは駄目だ!実戦で使える機体じゃない」
式典の最中に設計師に詰め寄ったアーヴィング中尉は、拘束されて引き剥がされ、そのまま謹慎を命じられた。
「どういうことだ。俺に試験飛行させておいて、全く改良がされていないじゃないか!言ったはずだ。この強度では、少しでも無理な運動をした途端、空中分解するぞ!」
羽交い絞めにされながら、中尉はそう叫ぶ。この人が新型の試験飛行などという危険な任務に就いていたことなど、はじめて知った。俺には一言だって言ってくれなかった。何度も抱き合って過ごしたのに。やはりこの人は俺を対等と見てはくれない。今そんな些細なことを気にしている場合ではない。だが俺の心臓には小さなしこりが残った。
「無理な運動などしなければいいのです。我が国の空軍飛行士たちは優秀だ。シェイ・アーヴィング中尉、あなたを含めて、ね」
開発責任者が自信たっぷりに言う。その言葉は飛行士たちを称えるものだ。飛ぶことに並々ならぬ誇りを抱いている飛行士たちが、喜ばないはずがなかった。再び歓声に包まれた会場で、中尉ががくりと項垂れる。
機体の駆動不良で親友を失った中尉は、知っているのだ。どんな技量を持っていても、どんなに優秀であろうとも、墜ちるしかないときがあるのだと。
「エゼル、エゼルレッド、お前はあの機体に乗るな。メロウには、絶対に乗るな!」
必死の形相でただそれだけを告げ、中尉は引き摺られていった。開発されたばかりのメロウの機体数は限られる。それに搭乗するために、いわゆるエース級の飛行士のみが選抜された。アーヴィング中尉を筆頭に、俺もその中に含まれていた。
「辞退申し上げます」
俺の言葉に驚いたのは、空軍大将だけではなかった。資格証を手渡そうとした姿勢のまま、大将は俺の正面で困惑している。
「何をふざけたことを。中尉の言うことなんか真に受けるなよ」
周囲の同僚たちは、口々に俺を諭す。
「エゼルレッド・ギア、N0008メロウへの搭乗を辞退させていただきたく思います」
俺は繰り返した。アーヴィング中尉が乗るなと言ったのだ。中尉が俺を思ってくれている証があの言葉なら、俺は死んでもそれを守る。たとえそれが世界の正しさに反抗しても、貫いてみせる。
頑なな俺の様に業を煮やしたのは、メロウに搭乗できない飛行士たちだった。
「色惚けしてんじゃねぇぞ若造!」
「あの売女にみすみす名誉を奪われるつもりか!それでも市民階級出身者か!」
口汚い罵りは、中尉が下層階級出身であること、数少ない女性飛行士であることを蔑む。地上では未だに差別は消えない。施策は改善されたが、人の心は十年以上経っても簡単には変わらない。だが空では、あの人に敵う相手などいないのだ。中尉より高く飛ぶ人間はいないのだ。
ホークアイ大尉がそうであったように。
「辞退申し上げます、大将」
俺は決して、資格証を受け取らなかった。それが今、俺が中尉に捧げられる精一杯だった。
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