久々にアスカロン。
アスカロン闘竜学園における実技授業の形態は様々だ。低学年の内は成長期が終っていないので、身体に無理を強いないよう、体力をつけることが最大の課題となる。
下級生の実技実習の際には教官に加え、第六・五学年が補佐に入る。アスカロンの教官は大抵が引退した竜殺士であり、中には身体を満足に動かせない教官もいるのだ。
ヤンのはじめての野外実習は、五、六人一チームでの指定コース踏破だった。事故が起こったのは、その最中である。
「誰がいなくなったって!?」
「リチャード!状況は!?」
「三番目に第二チェックポイントを通過したチームだ!」
完全に管理されていたコースから、一チームが道を外れたのだ。コースは平野と山林に設定されており、第二チェックポイントの先は鬱蒼とした森の茂る山である。
「『刃』寮からは確か…」
「『杖』寮からはナイゼル・アーネンベルクとヤン・ドライスラフだ!」
「このチームは六人だったな?」
不測の事態に対処するのは、補佐を受け持つ五年生である。五年生の学年長、『杖』寮のリチャード・パーシヴァルは翠眼を傍らに向けた。
「ミカ」
呼びかけられたのは、一際体格のいい青年だった。『杖』寮のミカ・バーテライネン。彼の水色の双眸には特有の先祖帰りがあった。
「何か見えるか?」
先見・予見・遠見――それがミカの能力だ。抜群の視力を誇るミカの目は、いつも五年生の標となってきた。しかし唯一つ難点がある。
「すまん…さっきから、意識すればするほど靄がかっちまう」
ミカの能力は、本人の制御が効かないということだ。視ようとしても視えず、何の意識もしていないときに視えてしまう。謝るミカに首を振り、リチャードは正面を見る。
『刃』寮のアルケイド・フェリス、エレジア・ヴァリアツィオーニ、ミハイル・グレンドルフ。
『弦』寮のバレンシア・グラーチア、ユハ・パラスケ。
そして『杖』寮のミカ・バーテライネン、リチャード・パーシヴァル――これが第五学年の全てだった。
本来ならば、補佐に着くのは六年生のはずだった。だが折悪く、竜の討伐依頼が舞い込んだのだ。任務を代わるという手段もあったが、それについては先方が承知しなかった。
「こんなことで後輩を失っては、先輩方にも学園の皆にも合わせる顔がない。第五学年の意地にかけて、全員無事に連れ戻す!」
応、と声が揃った。
「リチャード、あのね」
声を上げたのはユハである。
ユハは一見して華奢な青年だ。長い髪を半ばでまとめ、右肩の前に流している。見るからに戦闘に向かないその姿はしかし、五年生の中で恐らく最も頼りになるものだった。
しかし今、ユハの白い額には汗が浮かび、紙のように青白い顔色をしていた。
「コースを覆っていた結界が、無理やり解かれた」
ぜい、と喉を喘がせる。その肩を、同寮のバレンシアが支えた。
ユハは最後衛の結界士である。実習の間はずっと、コースを薄い結界で覆い、一年生が道を逸れるのを防いでいた。その結界に、綻びが発生したと言うのだ。
「コース上に何か近づいてきたんだ…もう少し範囲が狭ければ、弾けたんだけど」
「いい。無理するな。もうすぐ他のチームは全て帰還するから、その後は結界を解いて休め」
ユハは目蓋を下ろし、ゆっくりと深呼吸して頷いた。ユハの結界術は心身を削る。これ以上の負担はかけられなかった。
「ユハとミカ、バレンシアは本部で待機。僕とエレジア、ミハイルとアルケイドで分かれて捜索に向かう」
リチャードは焦る内心を押し隠し、指示を下した。
「ヤン、何かおかしいぞ」
周囲を見回したナイゼルが、ぽつりと呟いた。だがそんなことはチーム全員が気づいていた。
「コース上にどうしても出られない…。同じところをぐるぐる回っているみたいだ」
地図と方位磁石を手に、ヤンは溜息を吐いた。
「ナイゼル、これ見てくれる?」
ヤンが差し出した掌を見て、ナイゼルはげっと声を上げた。ヤンの掌に乗っていたのは方位磁石だ。その針が北と南を行ったり来たりの半円運動を繰り返しているのだ。
「壊れてんのかよ!」
ナイゼルの声を聞いたチームの面々は、途端に不安を現にした。だから君一人に見せたのに、とヤンはナイゼルを睨む。ナイゼルはしまった、という顔で舌を出した。
「壊れてるじゃなくて、壊れた。出発のときに確認したし、先生にも先輩にも見てもらったもの」
万が一のことがあってはならない。故に道具の確認は怠らなかった。方位磁石を見ていたのはヤンだ。第二チェックポイントを通過したときは正常だった。山に入り、道が斜面になった辺りから、針が不審な動きを始めたため、ヤンは進むのを止めたのだ。
「とにかく、下手に動いちゃだめだ。先輩方が見つけてくれるのを待とう」
頷いたのはナイゼルだけだった。
「待てよ、何でそんなの決めつけるんだ。自分たちで歩いて道を探す方が賢いだろ」
唇を尖らせる少年の名を、ヤンは知らなかった。確か『刃』寮の一年生である。出立前に彼とナイゼルは口論をして、名前を知る機会を失ったのだ。チーム内に不和を抱えた状態で、出立したのがいけなかったのだ。ヤンは臍を噛む思いだった。
「だいたい、何で方位磁石のことを言わなかったんだよ。もう少し手前で止まってれば、引き返せたのに」
もう一人、同じく『刃』寮の少年はヤンを責める。方位磁石の不具合を隠したのは確かにヤンの独断だった。
「ごめん」
「ごめんで済むかよ!」
少年の苛立ちはヤンに向いていた。どうしようもない事態に見舞われ不安感が募ると、人間は攻撃的になる。それは一種の防衛策だ。ヤンはもう一度謝った。ヤンだけに非がある訳ではない。だが今はそれどころではないのだ。完全な仲たがいを避けるためなら、ヤンは幾らでも謝るつもりだった。だがナイゼルは違った。
「ヤンのせいみたいに言うな!磁石を任せっきりにした、俺たちにだって責任があるだろ!」
あぁもう。ヤンは内心で溜息を吐く。
「ねぇ、」
今の今までおろおろとナイゼルたちの口論を見守っていた『弦』寮の一年生が、怖ず怖ずと声をかける。
「な、何か、近づいてくるんだけど、」
「先輩方かな?」
ヤンの問いに彼は青ざめた顔で首を振る。
「人間の気配じゃ、ない」
全員の血の気が引いた。
五年生全員集合と、迷子の一年生たち。『弦』寮の子はサトリ。ヤンの意図を知り、磁石の不具合を黙っていた。