那由多の果て

伝埜 潤の遺産。主に日々の連れ連れ。

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とりあえず。

気分が落ちているので、テンプレートを変えてみた。が、気休めにもならない。重傷である。重症でないだけマシと言えばマシ。
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つもり。

頑張っているつもりだけれど、頑張っていたつもりだけれど、所詮『つもり』は『つもり』でしかない、のかもしれない。
何もかもが中途半端で、そのくせ何も捨てさせてもらえなくて、捨てられもしなくて、やりきれなさと、やり場を見失った余力が胸郭の内でこだましている。そのうち背中を突き破るだろうその感覚に、腕が言うことを聞かない。背骨を伝う痙攣、涙が出そうだ。
私以外の誰かがきっと必要とされているはず。そう信じてこの場所を去るのが、私に今できる最善だと、認めたくなくて頑張ってきた。否定するために、現実を直視しないために、足掻いてきた、つもりだった。
しかし、『つもり』は『つもり』でしかなかったらしい。突きつけられた真実は、私を必要としていない。私でも構わないが、私でなくても構わない。そのことに不満を抱くのは、結局のところ、己の存在を証明したい私の、ただの我が儘なのだろうか。
今、私がいることでマイナスの要素が生じた。ならば私は去るべきである。だがそれは、反面では、ただの責任放棄だ。どうすればいい。わからない。わからない。簡単だ、責任を果たせばいい。だが、それが容易にできないから、私は途方に暮れている。
すみませんと謝れば、それでもいいと言ってもらえる。だが気が楽になるどころか、己が存在を抹消したくなる。このコミュニティを愛しているから、負担になりたくはない。
どうすればいい。わからない。わからない。
わからない。
日々燦々 / comments(1) / - / 伝埜 潤 /

今朝。

今朝、珍しく休日にブログ投稿してみた。
そして私がブログを触るのは、電車を待っているときである。
つまり今日は休日出勤である。
という、とほほな三段オチ。
日々燦々 / comments(0) / - / 伝埜 潤 /

迷い子1 アスカロン9

久々にアスカロン。


アスカロン闘竜学園における実技授業の形態は様々だ。低学年の内は成長期が終っていないので、身体に無理を強いないよう、体力をつけることが最大の課題となる。
下級生の実技実習の際には教官に加え、第六・五学年が補佐に入る。アスカロンの教官は大抵が引退した竜殺士であり、中には身体を満足に動かせない教官もいるのだ。
ヤンのはじめての野外実習は、五、六人一チームでの指定コース踏破だった。事故が起こったのは、その最中である。
「誰がいなくなったって!?」
「リチャード!状況は!?」
「三番目に第二チェックポイントを通過したチームだ!」
完全に管理されていたコースから、一チームが道を外れたのだ。コースは平野と山林に設定されており、第二チェックポイントの先は鬱蒼とした森の茂る山である。
「『刃』寮からは確か…」
「『杖』寮からはナイゼル・アーネンベルクとヤン・ドライスラフだ!」
「このチームは六人だったな?」
不測の事態に対処するのは、補佐を受け持つ五年生である。五年生の学年長、『杖』寮のリチャード・パーシヴァルは翠眼を傍らに向けた。
「ミカ」
呼びかけられたのは、一際体格のいい青年だった。『杖』寮のミカ・バーテライネン。彼の水色の双眸には特有の先祖帰りがあった。
「何か見えるか?」
先見・予見・遠見――それがミカの能力だ。抜群の視力を誇るミカの目は、いつも五年生の標となってきた。しかし唯一つ難点がある。
「すまん…さっきから、意識すればするほど靄がかっちまう」
ミカの能力は、本人の制御が効かないということだ。視ようとしても視えず、何の意識もしていないときに視えてしまう。謝るミカに首を振り、リチャードは正面を見る。
『刃』寮のアルケイド・フェリス、エレジア・ヴァリアツィオーニ、ミハイル・グレンドルフ。
『弦』寮のバレンシア・グラーチア、ユハ・パラスケ。
そして『杖』寮のミカ・バーテライネン、リチャード・パーシヴァル――これが第五学年の全てだった。
本来ならば、補佐に着くのは六年生のはずだった。だが折悪く、竜の討伐依頼が舞い込んだのだ。任務を代わるという手段もあったが、それについては先方が承知しなかった。
「こんなことで後輩を失っては、先輩方にも学園の皆にも合わせる顔がない。第五学年の意地にかけて、全員無事に連れ戻す!」
応、と声が揃った。
「リチャード、あのね」
声を上げたのはユハである。
ユハは一見して華奢な青年だ。長い髪を半ばでまとめ、右肩の前に流している。見るからに戦闘に向かないその姿はしかし、五年生の中で恐らく最も頼りになるものだった。
しかし今、ユハの白い額には汗が浮かび、紙のように青白い顔色をしていた。
「コースを覆っていた結界が、無理やり解かれた」
ぜい、と喉を喘がせる。その肩を、同寮のバレンシアが支えた。
ユハは最後衛の結界士である。実習の間はずっと、コースを薄い結界で覆い、一年生が道を逸れるのを防いでいた。その結界に、綻びが発生したと言うのだ。
「コース上に何か近づいてきたんだ…もう少し範囲が狭ければ、弾けたんだけど」
「いい。無理するな。もうすぐ他のチームは全て帰還するから、その後は結界を解いて休め」
ユハは目蓋を下ろし、ゆっくりと深呼吸して頷いた。ユハの結界術は心身を削る。これ以上の負担はかけられなかった。
「ユハとミカ、バレンシアは本部で待機。僕とエレジア、ミハイルとアルケイドで分かれて捜索に向かう」
リチャードは焦る内心を押し隠し、指示を下した。

「ヤン、何かおかしいぞ」
周囲を見回したナイゼルが、ぽつりと呟いた。だがそんなことはチーム全員が気づいていた。
「コース上にどうしても出られない…。同じところをぐるぐる回っているみたいだ」
地図と方位磁石を手に、ヤンは溜息を吐いた。
「ナイゼル、これ見てくれる?」
ヤンが差し出した掌を見て、ナイゼルはげっと声を上げた。ヤンの掌に乗っていたのは方位磁石だ。その針が北と南を行ったり来たりの半円運動を繰り返しているのだ。
「壊れてんのかよ!」
ナイゼルの声を聞いたチームの面々は、途端に不安を現にした。だから君一人に見せたのに、とヤンはナイゼルを睨む。ナイゼルはしまった、という顔で舌を出した。
「壊れてるじゃなくて、壊れた。出発のときに確認したし、先生にも先輩にも見てもらったもの」
万が一のことがあってはならない。故に道具の確認は怠らなかった。方位磁石を見ていたのはヤンだ。第二チェックポイントを通過したときは正常だった。山に入り、道が斜面になった辺りから、針が不審な動きを始めたため、ヤンは進むのを止めたのだ。
「とにかく、下手に動いちゃだめだ。先輩方が見つけてくれるのを待とう」
頷いたのはナイゼルだけだった。
「待てよ、何でそんなの決めつけるんだ。自分たちで歩いて道を探す方が賢いだろ」
唇を尖らせる少年の名を、ヤンは知らなかった。確か『刃』寮の一年生である。出立前に彼とナイゼルは口論をして、名前を知る機会を失ったのだ。チーム内に不和を抱えた状態で、出立したのがいけなかったのだ。ヤンは臍を噛む思いだった。
「だいたい、何で方位磁石のことを言わなかったんだよ。もう少し手前で止まってれば、引き返せたのに」
もう一人、同じく『刃』寮の少年はヤンを責める。方位磁石の不具合を隠したのは確かにヤンの独断だった。
「ごめん」
「ごめんで済むかよ!」
少年の苛立ちはヤンに向いていた。どうしようもない事態に見舞われ不安感が募ると、人間は攻撃的になる。それは一種の防衛策だ。ヤンはもう一度謝った。ヤンだけに非がある訳ではない。だが今はそれどころではないのだ。完全な仲たがいを避けるためなら、ヤンは幾らでも謝るつもりだった。だがナイゼルは違った。
「ヤンのせいみたいに言うな!磁石を任せっきりにした、俺たちにだって責任があるだろ!」
あぁもう。ヤンは内心で溜息を吐く。
「ねぇ、」
今の今までおろおろとナイゼルたちの口論を見守っていた『弦』寮の一年生が、怖ず怖ずと声をかける。
「な、何か、近づいてくるんだけど、」
「先輩方かな?」
ヤンの問いに彼は青ざめた顔で首を振る。
「人間の気配じゃ、ない」
全員の血の気が引いた。



五年生全員集合と、迷子の一年生たち。『弦』寮の子はサトリ。ヤンの意図を知り、磁石の不具合を黙っていた。
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二ツ鳴り11

続き。



暗器以外を手にしない真折は、紗弓馬の首を切断できるだけの刃物を持っていない。紗弓馬の手から袋槍を奪い、屈み込んだ真折は痙攣する紗弓馬の喉に刃を当てる。だが刃が喉を掻き切ることはなかった。
「紗弓馬ぁぁあ!」
啄木鳥が木の幹を穿つような音を立て、棒手裏剣があちこちに突き立つ。それを牽制と踏んだ真折は動きを止めたものの、その場を退かなかった。棒手裏剣は投物武器の中で最も高い殺傷力を誇る。佐治には必要のない武器だ。
「紗弓馬!?お前…」
佑作が右手の五指に棒手裏剣を構え、前衛に立つ。その左手が閃き、火花が散った。爆裂した鳥の子から濛々と白煙が上り、真折は後退を余儀なくされる。白む視界の中、紗弓馬を抱き起こした左近は、その有様を目にして絶句した。
「ち、かづくな、さこ…」
ぜろぜろと喉を喘がせ、それを告げるだけの息を紡ぎ、紗弓馬はどっと血を吐いた。そのまま白目を剥き、がくんと首が折れる。顔面のあらゆる穴から血を噴き、既に紗弓馬の息はなかった。
「毒の佐治か!」
真折の髪色に気づいた佑作が咆える。真折は緩やかに笑んでみせた。うねる髪が肩を滑り、ふわりと血が香る。
「っ左近、退がれ!」
佑作が口布を鼻先まで引き上げ、左近が紗弓馬を抱えたまま真折に背を向けた。
「逃がさん」
地を這うような真折の声。佑作が振り返り、咄嗟にその懐に体当たりをかます。長身とはいえ女の真折は佑作より軽い。地を蹴っていた真折は容易く均衡を崩した。
「ちぃ、」
朽ち葉を身体に纏って真折が起き上がったとき、既に佑作と左近は逃げおおせていた。舌打ちし、二人が去った方角を睨み据える真折に怒気を孕んだ言葉がかけられる。
「真折っ!俺が居んのに構わんと毒を使うたな!?」
戦闘の及ばない場所に逃れていた半兵衛である。真折は片目を眇め、溜息を吐いた。
「それがどうした」
「ふざけるな!おま、お前…!」
顔を真っ赤にして真折に詰め寄る半兵衛は、このとき思い出した。この女に近づいてはならない。この女は、ほとんど手を触れずに相手を殺せるのだ。善助の揶揄の意味が、ようやくわかった。動きを止めた半兵衛を見、真折は唇を吊り上げる。
「当たり前や呆け。死にたぁなかったら俺の傍に寄るんやない」
あくまで柔和に微笑みながら、真折は吐き捨てた。

「大丈夫か、佑作」
一歩後ろを走りながら酷く咳き込む佑作に、左近は問いかける。佑作は頭を振り、掠れた声を張った。
「心配すんな…いや、すまん。後で診てくれ。目も」
「目?」
振り向けば両目を真っ赤に充血させた佑作がいた。左近は絶句し、足を緩める。
「左近?」
「阿呆、何でもっと早う言わへんねや。ほれ」
水筒を佑作に放り、左近は紗弓馬の骸を横たえてその場に腰を据えた。怪訝な顔をしながらも佑作は素直に水筒を開け、それで眼球を洗った。
「あの一瞬、接触しただけでそれか」
「息は吸わへんたつもりやねんけどな」
左近は佑作に手を伸ばす。佑作はされるがまま、頬を触れさせた。左近は下目蓋をひっくり返し、渋面になる。
「目ぇ擦んなよ。吸うたんやない。目の粘膜からや。なるほどな…。紗弓馬は吸うたやろうけど…道理で酷い様や」
紗弓馬の骸は眼球と口腔の粘膜を爛れさせ、爆ぜさせていた。呼吸した際に肺ノ腑をやられたのだと左近は推察する。
「佑作、お前やったらどうしてあの女を殺す?」
近づくだけで、或は触れるだけで絶死を与えられる暗殺の専門家。あの佐治の女を殺す術を、左近は模索する。
「周五郎さんやったら一発や。やけど」
「あぁ、生半可なことやない」
理屈としては、あの女の毒の通用する範囲の外から狙撃してしまえばいい。杉谷衆の中でも名人級の立池周五郎ならば、それが可能かもしれない。だが果たして、それをさせてくれる相手か。
「紗弓馬を殺られて、この様か」
ぎちりと佑作が歯噛みする。それを幾分平静を装った左近が、ゆっくりと諭した。
「相手が毒とわかっただけでも儲けや。そう思わな、紗弓馬が報われへん。仇は撃つ。あの女は確実に仕留めたる。それが紗弓馬に報いる方法や」

「真折」
「申し訳ございません」
真折が杉谷衆の一人を仕留めたと報告を受け、信雪は労いの言葉をかけるつもりでいた。だが目の前に平伏した真折は信雪の声を遮った。
「あの男の首を、お持ちするつもりでございました」
あの男とは加藤紗弓馬。信雪の、世界で唯一の存在を奪った男だ。ぴくりと信雪の目許が震える。
「仕留めたのか」
「はい」
「ならば良い」
休め。言い置いて信雪は踵を反す。平伏した真折をその場に残したままだ。その信雪に、樹上から声がかかる。
「もうちょっと何かないんか。杉谷の精鋭一人殺して来よったんやぞ?」
「善助か。話があるなら姿を見せよ」
「そらすまんな。虫の居所が悪いさけ、不細工な顔しか見せられへんのや」
善助がこういう物言いをするときには必ず裏がある。ここ数年の付き合いで、信雪はそれを学んでいた。この男は心中を断じて面に出すことはない。例え口で何と言おうが、善助の外面は内面と釣り合わない。
「全く、真折だけは敵に回したぁないわ。あの娘、どうやって紗弓馬を殺したと思う?」
音も立てずに信雪の背後に立った善助は尋ねた。
「織江さまには想像もできひんやろな」
せせら笑う善助に信雪は嘆息した。
「毒を撒いたのだろう?」
事前に取り込んだ毒を、汗と共に排出し皮膚上で揮発させる。そんな芸当ができるのは佐治家でも真折だけだ。そして信雪は、少なくとも二度、真折がその方法で虐殺を行うのを目にしている。
「ありゃ、明察。ほなわかってんねやろ?直にあの娘は人間やなくなる。あんたのために死によんぞ」
そうなる前に止めたれよ。
善助の視線は常の道化た表情を拭い去り、鋭く信雪を射る。だが信雪は目を軽く細めるだけでそれをいなした。
「お前はお前、真折は真折だ。真折はお前とは違う。口を出すな、善助」
「あんたが俺の働きに報いてくれるためには、あんたは真折を忍扱いすべきやない」
忍は報酬次第で動く。それが実態だ。まして善助はその典型であり、一流である。それは信雪も理解していた。善助の意向を蔑ろにするのは得策ではない。だが信雪はきっぱりと言いきった。
「三度は言わぬ。口を出すな、善助」
善助は顔をしかめ、笑って吐き捨てた。
「後悔なさるぞ」
「我は二度と、後悔はせぬ」
「あぁそ。それはそうと、久蔵から連絡や。一旦帰った方がええで。あんたが国に居らんのが成田に知れた」
急なその報告を聞いても、信雪が顔色を変えることはなかった。
「成田か…保科が止めるだろうが、来るな」
成田は織江と国一つ隔てて睨み合う名門の大名だ。信雪と先代だけで成り上がった織江とは質が違う。家老の保科利右衛門為将は三国一の軍師で知られるが、当の成田家当主は凡庸である。信雪は名前すら覚えていなかった。だが勢力としての成田が大敵であることは自明。それを知りながら国を空けた信雪が、そもそも無謀なのである。
「善助、先触れとなれ。我が帰ることを報らせよ。真折には杉谷衆を追わせる」
「…、御意」
善助が身を翻す。それを見ずに信雪は声を上げた。
「馬引けぃ!」



杉谷衆第四隊の騎馬鉄砲、加藤紗弓馬、死す。
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二ツ鳴り10

紗弓馬VS真折。


土を離れた真折の足が、杉の幹を蹴る。瞬間、紗弓馬の手槍が空を裂いた。
「鉄砲だけやと思うな!」
真折の動きを読む、紗弓馬の目の良さは驚異的だった。突き出される穂先は尽く真折を掠める。だが真折はそれをひたすらに避け続けた。馬上から振るわれる槍を見ず、真折はひたすらに針を突き立てる瞬間を探っていた。
薬の佐治、或は毒の佐治。そう呼ばれるように、佐治は薬に秀でた家だ。治療と毒殺に関し、佐治家は指折りの実績がある。そして真折は殊更、毒殺に長けていた。髪一筋にかけても毒に浸かった娘、それが佐治真折である。色が脱け、痛んだ髪の理由はそれだ。女であれば嘆くべきその髪の有様は、佐治の女にとっては誇るべきものだ。同時にそれを知る者にとって、その髪は警戒色に等しい。接触するだけで命取りになる可能性さえある。ゆえに半兵衛が馴れ馴れしく真折の肩に触れた瞬間、善助は嘲るような笑みを浮かべたのだ。その女が何者か、知らないからこそできる暴挙だと。
「っらぁ!」
紗弓馬が雄叫びを上げ、真折が脇腹から血を噴いた。喜色を現した紗弓馬は手首を反し、穂先を突き出す。それに交差して振られた腕から打針が飛んだ。極細い棒手裏剣である。殺傷力は低いと踏んだ紗弓馬はそれを無視して真折の前腕を貫いた。
「!」
声にならない呻きが零れた。真折ではない。紗弓馬の口からである。打針を受けたのは、紗弓馬が操る馬の方だった。首に打ち込まれた針は一瞬でその命を絶った。最期に鋭くいなないた馬は前脚を上げてのけ反り、紗弓馬を振り落とすとどうと地に沈んだ。紗弓馬は露出した樹木の根に叩きつけられ、意識を飛ばす。
真折は前腕に刺さったままの槍の穂先を引き抜いた。得物を奪うつもりで、尺骨の間を狙って貫かせたのである。止血点を押さえながら、投げ出された紗弓馬に近づく。藍装束の袖から取り出された千本は濡れ、微かな艶を帯びていた。
「退けや、真折」
背後から聞こえた声に、真折は眉間に皴を刻んだ。
「その首、俺が奪る」
真折は千本を握るのと逆の手で打針を握り込んだ。振り返れば予想に違わず、半兵衛が立っていた。止血を終えて追ってきたらしい。
「次に邪魔したら殺すて言うたはずやぞ。耳まで呆けたんか」
詰る真折に半兵衛はかっと頬を染めた。
「自分の姿見てみいや。俺が居いひんて苦戦したんと違うのか?」
半兵衛は引き攣った笑顔を繕い、真折を嘲った。真折は脇腹と前腕から出血している。藍装束は鈍い紫に染まっていた。しかしこの傷は、真折が意図的に負ったものである。脇腹に至っては薄皮一枚裂かれただけだ。
詰る言葉とはいえ、最初に言葉を返したのは真折の優しさだった。善助ならば言葉など与えず、迷いなく棍を振り抜いていただろう。苛々と舌打ちした半兵衛は真折に歩み寄り、その肩を掴んだ。真折の腕がしなり、鳶色の双眸が爛と光る。
ばきっと鮮やかな音を伴い、真折の拳が半兵衛の鼻をへし折った。真折は女である。だがそれを補う力の使い方を知っていた。どの筋肉をどう動かし、どこに力を加えれば効果的に相手を破壊できるか。鼻を押さえる半兵衛に真折は言い放つ。
「功を追うだけが美徳やと思てんのか」
「忍の忠心なんぞ泡沫やないか」
くぐもった声で半兵衛が返す。あくまで鼻で笑うような調子を崩さない半兵衛に真折は針を向けた。
「これで最後や。次に俺の邪魔したら殺す」
言うや、身体を反転させその場から退く。何もなくなった空間を薙いだのは、槍の穂先だった。
「ええ加減にせえよ、お前ら…!」
頭を押さえた紗弓馬がぐらりと立ち上がる。その右手に握られているのは槍の穂先だけ。握りの部分が筒状になっている。穂先だけを携帯することができる、袋槍である。紗弓馬のそれは普通よりやや大身で鋭角だ。短刀としても十二分に扱えるだろう。真折は舌打ちした。獲物を奪うために腕を犠牲にしたのに、無意味になってしまった。
「お前らが、織江についてる甲賀者か…どこのもんや」
紗弓馬は低く問いかける。眼前で仲間割れをしているのは紗弓馬と同年代の女と、それより若い男だった。見覚えはない。
紗弓馬の耳には不自然な葉擦れの音が届いていた。音は二人分だ。佑作と左近が木々を縫って駆けてくる。二人との距離はさしてない。数呼吸待てば、形勢は逆転する。そのために時間を稼ぐ必要があった。
「あの、織江の殿さまが雇たんやから、どんな化け物が来るかと思たら――ははっ、一人は女やしもう一人はその女の足引っ張るし、ろくでもないなぁ」
紗弓馬が吐いた毒に、無表情だった真折がひくりと反応した。花色の唇が弧を描き、長い睫毛が瞬き、大輪の笑みを浮かべる。半兵衛がさっと顔色を変え、後退り真折から遠ざかった。
真折は美女である。善助と並ぶ長身を持ち、化粧気もなく、半兵衛は年増と罵ったが、紗弓馬は目を奪われた。その唇が開く。覗いた舌は、滑る淡紅。
「来世まで覚えとき、加藤紗弓馬。俺がどうやって貴様の命を奪うかをな」
爛漫の笑顔を浮かべたまま、真折は囁いた。はっとした紗弓馬が槍の穂先を振り抜き――そのまま、体勢を崩した。
「あ?」
ぴしゃりと紗弓馬の眼窩から血が飛沫いた。眼球表面の血管が破裂したのだ。次いで鼻孔から血が滴り、紗弓馬は咳き込んだ。泡の混じったどす黒い血を吐き出し、紗弓馬は崩おれる。
「あ、ァ、あ、お…まえは…!」
「二秒は保たさん」
菩薩のような眼差しを紗弓馬に注いだまま、真折は言い放つ。紗弓馬は袋槍を握り直し、その腕を伸ばすが、真折には届かない。届くはずがないのだ。忍相手と覚悟した紗弓馬は、充分に間合いを計っていた。投物武器なら叩き落とせ、手持ち武器なら届かないが、紗弓馬さえその気になれば詰められる、絶妙の間合いを守っていたはずだった。紗弓馬の腕は、得物は、既に真折に届かない。
ぴくぴくと痙攣する紗弓馬を見下ろし、真折は呟いた。
「さて、その首もらおか」



真折の埒外と、紗弓馬の敗北についての一幕。
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フィギュア。

帰宅。晩御飯with世界フィギュア。ロシアの新星の演技が、皇帝そっくりで噴いた。しかし名前が厳つい。歴代ロシア選手で一番格好よかったのはヤグディン氏だと思う。あの人は長野の金メダルだっけか。
日本勢で一番の美形は小塚氏。あの人はおしなべて美しい。高橋氏は情感豊かで、演技に華がある。織田氏は機能美的とでもいうか。
しかし、本日一番素敵だったのはイタリアのコンテスティ氏である。あれがイタリア男、あれが伊達男だ!正に真骨頂である。男性には紳士であってほしい。それがたとえつまらない見栄であっても、女性の前でくらい格好よい男を演じる甲斐性がほしいものだ。
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まさかの。

電車運転取り止め。最寄り駅まであと一駅。安全確保のため致し方ない。致し方ないが、ここで降りてどうしろと…。いつもより早く職場を出て今日くらいゆっくりしようかと思っていたのに、いつもより遅くなりそうな気配。
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シャングリ・ラ。

シャングリ・ラと聞くと何か無性に苛烈なイメージがある。昔書いたフラグメントのタイトルにしたのが最大の原因ではあるけど、このイメージはどこから来たんだか。イヤホンから聞こえてくるシャングリ・ラが、ファフナーの主題歌だから余計に、か。
ファフナーといえば、全く知らなかったが冲方さんが参加されていたらしい。それだけで気になって仕方ない。本屋大賞を取った代表作もだが、あの方の作品は一々心の琴線に触れる。一番気になるのはシュヴァリエ。漫画化されても滲み出る言語センスの卓越性。昨年は、黒い季節の再版が嬉しかった。残念ながらまだ読んでいないが。
ワイパーの故障で電車が動く見通しが立たない。いい加減一時間以上経つので、足が限界、なん、だ、が。人間とは脆弱な生き物である。
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二ツ鳴り9

雨の匂いが好きだ。


「行かしてええんか?大事な跡継ぎやろ」
ざわりと揺れた梢を見送ったのは、笠と蓑を纏った人影が二つ。笠をくい、と持ち上げて善助が尋ねる。その声に含まれる意地の悪い笑みに、久蔵は嘆息した。
「何や、お見通しかい」
先手として発とうとした真折を止めたのは、あろうことか半兵衛だった。自分を連れていけと訴える半兵衛に、真折はぞんざいに頷いた。邪魔になったら針を打つ――そう告げた真折に、久蔵は躊躇わず首を縦に振った。それを見た善助は笑いを堪えるのに必死だったのだ。
「一応、聞いたろか。千蔵はどうした?」
「我が手で討った」
きっぱりとした返事に善助の笑みが深くなる。
「岩室はもうお終いや。千蔵は死におった」
半兵衛には優秀な弟がいた。名を九兵衛という。その能力は父たる千蔵の再来だった。ゆえに岩室の安泰を誰も疑わなかった。だが九兵衛には致命的な欠点があった。甲賀者の生き方を、受け入れられなかったのである。
「九兵衛が岩室を抜けるのを、誰が許すはずはないんや。ゆえに千蔵は自ら手を下し、九兵衛を殺した。その己が業を悔いて、我を失くしよった。その千蔵を、この手で殺した」
「悲しい話やなぁ。あの千蔵でさえ我が子は愛し、か。忍には向かんなぁ。そんであの出来損ないが跡継ぎになったんか」
悲しいそぶりなど微塵も見せず、あっけらかんと善助は言い放つ。対して久蔵は渋面である。千蔵を殺すことは、岩室の息の根を絶つことと同義である。久蔵は、それを成したのだ。久蔵は父であるよりも、甲賀の大家たる岩室の長だった。
「弟が良うできたさかい、誰も半兵衛に求めんかった。せやけど九兵衛と千蔵が死んだ今、岩室の本家を継げるんはあいつしかおらんのや。あいつはあいつなりに必死よ。自分より優秀な弟と父親の尻拭いをせんならん。可哀相な子や」
半兵衛が甲賀者として手遅れであることなど、百も承知だった。引退したはずの久蔵がここにいるのも、そうした理由からである。半兵衛の他人を見下した態度は、一種の自己防衛なのだ。あれが精一杯の虚勢なのである。だがそんなことは善助にはどうでもいい。
笠を打つ雨が次第に強まる。けぶる景色を見ながら、善助は呟いた。
「まぁ真折に針の一本でも打たれたら、多少ましになれるんちゃうか」
善助は、半兵衛が生きて戻るとは思っていなかった。

見通しの悪い上り道に差し掛かり、静四郎はより一層神経を尖らせた。薬箱を背負い、商人を装った佑作もぴくりと反応している。背の高い木々の間、殺気が向けられている。
「山賊、か?」
訝る静四郎の言も、致し方なかった。
土山宿に向けて進んでいた杉谷衆第四隊は、一見してただの行商集団である。陽心が担いだ石火矢は束ねた竹材に偽され、紗弓馬は蓑を被り足を晒した馬借姿である。その行商に、わざわざこうもあからさまに殺気を現にするのは、甲賀者の仕業とはにわかに考え難い。敵は佑作を凌ぐ忍なのだ。隠密業が熟せないはずがない。
「まさか。ここは山中家の手の内やぞ。山賊なんか居るん――」
佑作の返答が途切れた。薬箱を背中から落とし、懐に利き手を突っ込む。左近が笠の陰から周囲を見渡す。磐音が兄の袈裟に手をかけ、短筒を受け取った。
「来よるぞ!」
佑作の警告と同時、横合いを急襲したのは藍装束を纏った若い男だった。見るからに甲賀者である。振りかぶった刀の下には、藤兵衛の小柄な身体。
「爺さまぁっ!」
磐音の悲鳴が空を裂く。しかし藤兵衛は動かなかった。その様は、死以外の何かを待っているかのようだった。
ダァン!
藤兵衛目掛けて刀を下ろそうとした藍装束の上腕を、一条の鉛が貫いた。周五郎の射撃である。周五郎は気づいていた。藤兵衛の、自らを囮にし敵を撃つという奇策。そして周五郎の反応は、第四隊に長くあってこそ当然のものだった。しかしその口からは舌打ちが零れる。周五郎は本当は頭を狙っていたのだ。一撃で仕留めるつもりで、藤兵衛に示し合わせたのである。
ガァン!
怯んだ忍に追い撃ちをかけた轟音。鉄砲より雨に弱いはずの、陽心の石火矢だった。油紙に包まれた銃身が、山にこだまする咆哮を上げた。石火矢の扱いに関して、第一隊副頭の右に出るものはない。曖昧に見せたのは、陽心の一流の偽称である。たとえ雨天であろうと関係はないのだ。
「仕留めた!?」
「いや、」
磐音の叫びに陽心は苦い顔をし、弾込めを始めた。別の藍装束が、腕を撃たれた甲賀者を掠ったのだ。
「ちぃっ!」
舌を打った紗弓馬が手槍を手にした。馬に負わせた荷駄を外し、鞍もない裸馬に飛び乗る。
「紗弓馬!やめい!」
気づいた静四郎が制止するが、それすら聞こえていたかどうかわからない。馬に鞭を当てた紗弓馬は急斜面を駆け登る。藍装束が樹上を飛んだ。
「あんの阿呆が!佑作!」
佑作を呼んだ左近が咄嗟に墨染を脱ぎ落とし、藍装束になった。後を追うべく斜面を蹴る。
「兄さん!」
「残れ!」
磐音に言い残し、左近と佑作は瞬く間に緑に紛れた。

ひっ、ひっ、と攣ったような声を上げる半兵衛を一瞥し、真折は密かに嘆息した。邪魔ならば殺すと久蔵には許可を取った。まんまと罠師に飛び掛かった瞬間、針を打ってやろうかと思ったが、真折はそれをしなかった。
「足引っ張んなて言うたはずやぞ」
「知るか!だいたいお前が止めへんかったら、爺の首の一つや二つ取れたったわ!」
減らず口を叩く余力があるのかと改めて嘆息し、真折は足を止めた。
「次に俺の邪魔したら殺すさかいな。気ぃつけや」
規則正しい馬足が聞こえていた。半兵衛は気づいていなかったが、追っ手がいる。加藤紗弓馬。結崎留三郎の首を奪った男。真折の唇が吊り上がる。予定は狂ったが、紗弓馬が一人で追ってくるのならば好都合だ。ゆらりと立ち上がった真折の殺気はしかし、半兵衛が察知するよりも早く隠された。首を傾げる半兵衛を置き去りに、真折はもと来た道を逆走し始める。
結崎留三郎信臣の首を奪った――織江信雪の目の前で。それが信雪に何を齎したのか、真折にはわかっていた。ならば加藤紗弓馬の首を奪ってお目にかけよう。それであの方の悲しみは、少しでも埋まるだろうか。


半兵衛は可哀相な子。今のところ、ただの阿呆である。真折もそれをわかっているので、殺さなかった。よかったね。
二ツ鳴り / comments(0) / - / 伝埜 潤 /