那由多の果て

伝埜 潤の遺産。主に日々の連れ連れ。

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灰3

ルークが再び戦場へ向かってから、五日が経った。ルークの戦いはあくまで防衛戦だ。国境を拡大するのではない。だから大丈夫だ。それよりルークがいない間、俺には重要な仕事があった。家を守ることだ。ルークと俺の家。ルークはここに帰ってくる。俺がここにいる限り、ルークは約束を破らない。
ルークに拾われて、十年が過ぎていた。俺が幼子だった頃のルークは笑えなかった。もっと荒んでいた。だから俺は自分のことを、いつかきっと捨てられるに違いないと、気まぐれで連れてこられた厄介者なのだと感じていた。そんなだから、家出をしたことだってある。家を出て、森を抜ける前に、結局帰ってきたルークに捕まったのだが。あのときのルークときたら、世の終わりのような顔をして俺の両肩を掴み、泣き笑うような奇妙な表情で懇願したのだ。
行かないで、と。
『いつか、戦争が終わったら』
ルークがそれを言ったのは、そのときが初めてだったと思う。
『――君が、私を』
それを言うときのルークは酷く愛しげで、俺は何も言えなくなってしまう。何も言えなくなった俺を、切ない表情でルークは眺める。
本当は、叫んでやりたい。俺は、ルーク、あなたの望みなんか知らない。俺はルークに生かされて、救われてここにいるのに、どうして。

だがルークは戦場へ向かう前に、必ず俺に言うのだ。

『いつか、君が、君の手で』
そして俺は、何も伝えられないまま、その背中を見送るのだ。真綿を纏った茨に首を絞められる感覚。焦燥に声が出ない。俺の声は喉の奥に絡め取られ、ルークには届かない。

『私を殺してくれ』

その言葉を、否定できないまま、また、あの背中を見送った。

###

戦況は、辺境の村であるここまでは届かない。都へ出ればまた違うのだろうが、俺にそこまで行く気はなかった。ルークは帰ってくる。それがわかっているから、俺はここを動かない。だが、わかっているのとルークが心配なのは、全く別の問題だった。ルークは紅に濡れて帰ってくるが、掠り傷以上の傷を負ってくることはなかった。
でも今回は?
斬られているかもしれない。貫かれているかもしれない。腕を足を、失っていたら――恐ろしい想像を振り払うように首を振る。
そのとき不意に、音がした。顔を向ける。洗濯物が手を滑り落ち、土にまみれてしまった。だが、異質な音が再び響き、俺の意識は完全にそちらに捕らわれた。
鈍い金属音。ざりざりと擦れる耳障りなそれは、ルークがたまに立てる具足の音に似ていた。だがルークなら、真っ先に声をかけてくるはずだ。違和感。俺は身を翻し、家の扉へ走った。
だが、
「…え、」
背後から響いたのは、水分を含む塊が土に叩きつけられる打音。金属の軽やかな音が、それを彩る。振り返れば、人影が二つ、倒れたもう一人を見下ろして立っていた。傍らには馬が二頭、落ち着かなげに鼻を鳴らしている。がっしりとした体格は、村にいる農耕馬とは比べ物にならない。あれは軍馬だ。蹄の音は、柔らかな土に吸われてしまっていた。
倒れているのは、白い具足の――ルークと同じ具足を纏った男。既に事切れている。具足の隙間から流れ出る紅に、俺は戦慄した。紅い。紅、紅、紅、戦場の色。ざり、と後ずさる足が滑った。死体を見下ろす男が、音に気づいて顔を上げる。滴る紅。血振りの済んでいない、湾曲した刃。黒い瞳。目線が克ち合う。
「あ、あ…!」
褐色の肌、黒い革の鎧を纏って――ルークを殺そうとする異教徒たちが、そこにいた。
後ずさる足が何かに引っ掛かり、後ろに倒れ込む。悲鳴のような音を立てたのは、体重がかかった家の戸だった。この戸を開けて中へ逃げ込んでも、無駄だ。俺の姿を見たのだ。あの異教徒の騎士は!黒鎧を纏ったあの騎士は、俺を見つけたのだ!萎えた足は動かない。逃げられない。

ごめんなさい。ルーク、ごめんなさい。俺はこうして死ぬためにここにいたの?これで終わり?あなたが帰ってくるのに、約束したのに、いつか、いつか戦争が終わったら、いつか聖戦が終わったら――あんな約束を守りたくなどないけれど、それでも、
 
近づく跫、馬蹄は柔らかい土に吸われて鳴らない。近づいてくる黒い騎士。黒い髪の、褐色の肌の、異教徒たち。ルークと戦い、殺そうとする輩。精一杯睨みつける先には、二人。逃げられない。影が落ちる。眼前に迫る、二人の若い騎士。ルークよりも一回りは若い。一人は長い黒髪を編んで顔の右側にまとめ、もう一人は額の左から目尻にかけて傷を持つ。だが、奇妙だった。幼い記憶に灼きついた、戦場の気配がない。肌が粟立つような殺意がない。抜き身を携えた二人、紅の血飛沫は確かに異教徒の頬を濡らしているのに。
「あぁ…神よ偉大なる神よ、思し召しに感謝いたします…!」
終焉は訪れず、異教徒の騎士たちは、呆気に取られる俺の前で、伏して祈り始めた。南への礼拝を終えた騎士は立ち上がり、腰の抜けた俺の前に膝をついた。
「十年間、あなたさまの無事を願い、お探ししておりました。我が名はゼク・リザ、これなるはシャキュール。共に、あなたさまと偉大なる神の忠実な僕にございます」
編んだ髪の騎士が革の胸甲に拳を当てて名乗る。騎士の――ゼク・リザの左瞳には涙が浮かび、傷を持つ騎士シャキュールに至っては既に号泣していた。
「あの日、紅き災厄が我が故郷を襲った日、我ら兄弟の目の前で、あなたさまは奪われました。我ら一族はそれを消えざる汚名とし、あなたさまを取り戻すために、」
「ま、待って、待ってくれ!何を、言っているんですか、俺が、何だって?あなたたちは、何を、」
半ば悲鳴じみた問いに、ゼク・リザは悲しげに眉を寄せた。
「無理もない、か…あのとき、あなたさまは四歳…覚えておられぬのですね」
ゼク・リザの長い前髪の奥から、熾火のような黒い右瞳が覗く。
「あなたさまは、紅い災厄によって奪われたのです。彼らは街に火を放ち、軍馬を乗り入れ、ことごとく殺し漁った。あなたさまの乳母であった我らの母は、紅い災厄の眼前を塞ぎ、そうして軍馬に踏み殺されました。あなたさまの御母君はあなたさまを抱いたまま、背中から斬られて逝かれました。その腕の中から、あの男は――」
ゼク・リザは、そこまでを激情に震える声で途切れなく紡ぐと、小さく息を吐いた。
待って、待ってくれ。その続きは、口にしないで。言わないで、言わないで、終わってしまう。終わってしまう、から。思い出してしまう。身体を駆け巡る鼓動が煩い。あの日、あの日の紅、迫り来る奔流の中に灯った鬼火にも似た碧の光。あれは、あれは、俺はあの輝きに救われて、

「紅き災厄、将軍ルキウスは、あなたさまを拐っていったのです」




急転直下。
イリアッド / comments(0) / trackbacks(0) / 伝埜 潤 /

大化改新。

今夜はヒストリー、という番組が私は大好きである。めちゃくちゃ面白いと思う。時間が合わずに毎回見逃しているが、見ているときには大爆笑である。
で、先日。先日がいつかわからないくらい前だが、大化改新をやっていたことがある。それを思い出したのは通勤電車内で、私は寝ぼけていたのだが。そのとき、ふと思った。
大化改新の始まりは乙巳の変である。あれと同じことが起きたら、たぶん日本は真の意味で天皇制の国になれるんではなかろうか。
つまり、美智子さまの前で皇太子さんが野田(どじょう)総理から非合法的政権奪取=暗殺を敢行し、新しい政治をやり始めたら。絶対、国民は天皇制万歳に落ち着くはずだ。一斉歓呼である。
だって、民主党政権ダメすぎる。ダメにもほどがある。消費税増税とか再稼働とか、そのくせ東電は国有化?廃業だろ、フツー。癒着か。張り付いてんのか。今さらだが国会議員の外遊費増額?あんなお粗末外交に金注ぎ込むの?金注ぎ込めば良くなるの?人材がお粗末なのは変わらないのに?止めてー世界に恥晒すのに金使うとかまじ止めてー。因みに私は前回の選挙は社民党に入れたので、全く今の政権を選んだ覚えはない。ので、何の後ろめたさもなく批判するのである。
冗談だが。あくまで寝ぼけながら考えていたが故の笑える危険思想だが。だけど大化改新的な何かが起こらなければ、日本は変わるまい。
日々燦々 / comments(0) / trackbacks(0) / 伝埜 潤 /

悪寒。

5月にサンホラのベストが出たので手を出してみた。サンホラは、音楽としては二流だと思うが、エンタテイメントとしてはそこそこ(かなり、か)面白いのではないかと思う。個人的にはMoiraがベスト。
ところで、学生時代に聞きたいと思いながら、ちゃんと聞いたことがなかったのが聖戦のイベリア。個人的に、音源とか音質に拘る質なので、YouTubeで聞くとかは余程でないとやらない。せっかくなのでこれを機に?CDを購入、聞いてみた、の、だが。
これは…やばい。いや、期待はずれとか、素晴らしいあまり涙がとかそんなではなくて。CD自体はいいと思う。作品として面白いし。が。問題点は私の側にある。

今書いてるイリアッド・三と、モチーフが酷似している、ような、気がする。

あれぇぇぇ!?やばいよ続き書き進め難くなるかもしれない。いや厳密には違うからいいか?あっちはレコンキスタ、こっちは十字軍国家のその後。時代はずれてるんだがなぁ。往々にしてあることなのだろうか。
日々燦々 / comments(0) / trackbacks(0) / 伝埜 潤 /

何だかなぁ。

誰のために頑張ってるんだろう。 と、書くと傲慢に聞こえるから嫌だ。実際、私の頑張りは最終的に自分のためのものであって、誰かのために頑張ってるなんて考え方は自己陶酔もいいところだ。 が、睡眠時間削って、仕事の合間の休憩削って、勉強時間削って、休日返上して、一体何でこんなに頑張ってるのかわからないときに、自分のためだとは思えない。そこまで私は強くはないし、これで利己的な生き方してるとは到底思えない。 何だかなぁ。別に感謝しろとか言うわけないし、頑張りを認めろとか言わないけどさ。何だかなぁ。全く報われないもののために頑張ってる気がするのは、何でかなぁ。
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待ちに待った。

第二巻。昨年から半年くらい待っていた漫画がある。カガノミハチ先生の『アド・アストラ―ハンニバルとスキピオ』の、二巻目である。
某ローマの風呂漫画より時代をやや遡り、コンスルと呼ばれる執政官がローマを支配していた時代。大国ローマを震撼させた軍事的天才ハンニバルと、ハンニバルという苦難を乗り越えるローマ。つまり、ハンニバル戦役と呼ばれた第二次ポエニ戦争がテーマの歴史漫画だ。
何が凄いかって、ハンニバルが凄い。かの有名な戦象を伴うアルプス越えの雪中行軍、ガリア人を巧みに引き入れる弁舌の滑らかさ、バール神の恵み。ハンニバルが凄ければ、ライバルであるスキピオも中々。ハンニバルの戦略を嚥下し、己のものにする能力の高さ。
知っているけれど、やっぱりわくわくする。
歴史漫画は、先が既に見えてしまっているのだが、それでも面白いのは、事実は小説より奇なりとかいうあれだろうか。
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原点は何処に。

上橋菜穂子先生の、守人シリーズを再び読んでいる。アジア的な世界観だとか、二重にだぶる世界だとか、全く新しく懐かしい言語系統だとか、東洋の『指輪物語』と言っても過言ではないと個人的には思っている。
大体私が進んできた道は、小学校の五年生辺りに決定していたのだ。私が歴史に興味を抱いたのは、小学五年のとき、考古学者が歴史を辿るという児童ファンタジーを読んだときだ。そのシリーズでナスカの地上絵、インカ帝国とマチュピチュ、ピラミッド、シュリーマン、ツタンカーメンに触れた。壮大なロマンが世界には存在することを知ったのだ。そのときの私の夢はピラミッドの地下に潜ることだった。小学校・中学校では、あまり周囲に理解されない夢だったが。
そのとき、時期を同じくして呼んだのが荻原法子先生の『薄紅天女』と、上橋菜穂子先生の『闇の守人』だった。それらも、私が歴史を学ぶという選択をする一因となった本である。上橋先生は文化学者で、物語の背景がとても分厚い。世界とは、理解し得ないほどの深さを備えている。それを、私はそのとき知ったのだ。
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灰2

ルークの全身にこびりつく紅は俺を圧倒した。肌の色さえ見えないほどの濃い紅が、俺を阻む。
「ごめん」
ぽっかりと浮かぶ碧の双眸が和む。ルークは外に出て鉄瓶に雪を詰めると、それを火にかけた。
「井戸が凍っているんだ。だからもう少し待って」
ルークは言い置いて外へ出た。俺はその背に追い縋るように手を伸ばす。
「ルーク!」
「大丈夫、すぐに戻るよ」
ルークは決して、紅の手で俺に触れない。俺は紅を纏ったルークには近づけない。
王弟ルキウス。それがルークの素性だ。現王エウリウスの腹違いの弟。異教徒との戦争――聖戦の旗印。国境とこの国の存在の是非を問うその戦争は、俺の両親を奪った。背中から斬られ殺された母の亡骸の下、何もわからず泣いていた俺を拐ったのがルークだ。あのままでは、俺は母の血にまみれたまま軍馬に踏み躙られて死んでいたか、雑兵に殺されていただろう。そのときのことは朧気にしか覚えていないが、俺にとって紅の色は忌避すべきものであり、恐怖の対象だった。

「次はしばらく戻れないと思う」
ルークが戻ってきたのは、鉄瓶の雪が湯に変わり、粗末な小屋が温まった頃だった。ようやくルークの紅は拭い去られ、穏やかな栗色の髪の青年が佇むだけだった。
「…え、」
「戦況が厳しくてね。大分、押し込まれてしまった。早晩、彼らは此岸に上陸し…エメリタに侵入する。川を越えられたら――」
豆のスープを啜るルークの表情は固かった。
ルークに教えてもらったこの国の歴史は、悲惨な侵略と略奪と虐殺から出来ていた。元々、この国は聖戦という名の侵略戦争によって建国された。聖戦の熱狂が落ち着いてからは、異教徒の国の中で細々と存えていたが、事情が変わったのは先代の王――ルークの父親の代のことだった。
勇者と呼ばれた王は再び聖戦を開始し、異教徒から国土をもぎ取った。決して肥沃でないこの国が、豊かになるにはそれが最も確実な方法だった。国境を巡る戦争は、父親からルークの兄へと受け継がれ、今に、ルークに辿り着く。
「ルーク」
「…あぁ、ごめん。暗い話になってしまった。大丈夫だよ。今は向こうに動きはない。拠点を築いているのだろう。こうして帰って来られるのだから、まだ大丈夫だ」
「違う、ルークは大丈夫なのか?」
俺が知りたいのは戦況などではなくて、ルーク自身のことだった。ルークが家に帰ってきたのは七日ぶりだ。疲労の色濃いルークはしかし、きょとりと碧瞳を瞬いた後に、情けなく笑った。
「大丈夫だよ。私は大丈夫、アッシュが待っていてくれるから。必ず帰ってくる」
ルークが笑っている。それだけが救いだった。
かつてルークは笑えなかった。白髪の将軍亡き後、この国に舞い降りた救いの光。深紅を纏って聖戦を率いる。人々はルークを天使と呼んだ。御使いだと。だがその名を負ったルークは笑えなかった。
『いいかい、アッシュ』
ルークは言う。
『いつか、戦争が終わったら』
いつか、聖戦が終わったら。




モチーフとネーミングがそぐわない違和感。後、気候も。
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四捨五入。

四捨五入して30になりました。アラウンドサーティ。何か、いろいろ後に退けない年齢になりました。
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危機一髪。

昨日、公民館を借りて活動していたときのこと。突然何やら異臭が…焦げ臭い?何と管理人さんが、やかんを火にかけたまましばらく見回りに出ていたのでした。危ない危ない、活動場所三階だから逃げられないところでした。公民館の向かいは消防署だけど。
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じりじりと喉が、胃が、身体が内から灼けていく。干した盃の底、僅かに残る蜜色の雫が煌めく。酔いはまだ回らない。冴え冴えと澄んだ思考は、決して忘れさせてくれない。胸の奥に燻る問いを、ひたすらに突き付ける。
どうしてあなたは俺を育てたの。あなたにとって、俺は何だったの。
そんな答えは既に出ているのだ。俺は楔。俺は十字架。あの人は、殺されるために俺を育てた。俺に殺されるために、微笑み、慈しんだ。いつか俺に、殺されるために。残酷なまでに明確な答えだった。いっそ酔いが回れば、澱んで思考が止まれば、俺は目を閉じられるのに。
「上等の酒」
不意に、声がした。不揃いな前髪の間から垣間見る。そこに立つのは、異装の男だった。埃に塗れた旅装束、片手には小さな竪琴を携えている。目深に被ったつば広の帽子から、長い白髪が流れていた。
「誰だ」
力無い問いは空気に溶ける。酒の飲み過ぎで嗄れた声。問いかけたのは義理だ。もとより答えなど期待していない。俺が欲しい答えは一つだけ。相手が何者だろうが、現世に生きることを諦めた俺には関係ないのだ。
「あなたはどうして酒を?」
問い返す声はくわん、と反響して聞こえた。
「酔えもしないのに、なぜ酒を?過ぎた酒は毒にしかならない」
いっそ、毒なら。俺は楽になれただろうか。この身を内から灼く酒。足りないのだ。俺を殺すに足りない。俺を、壊すにも、足りない。忘れるなど以っての外だ。
「酒浸りの俺に何の用だ。言っておくが、俺には何の力もない。この戦は終わらない」
そうだ。この戦は終わらない。あの人が死んでも終わらない。あの人が、俺が、ここで終わっても。
城の外は荒廃している。俺が生まれる以前から続く戦は国を疲弊させ、民を圧迫している。誰もが戦を疎んでいる。だが終わらない。俺は終わらない戦を、張りぼての玉座から眺めることしかできない。
うなだれる俺の背を、澄んだ音が撫でていった。竪琴が鳴っている。詩人らしく竪琴を掻き鳴らしながら、白い男は問うた。
「あなたは何を嘆いているのですか」

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寒い日だった。その日は雪が舞い散る寒い日だった。がたがたと凍えながら、それでも俺は炉に火を入れられなかった。
「アッシュ、ただいま。アッシュ?」
その声は俺の救いだった。
「ルーク」
「アッシュ、ごめんね。遅くなった。寒かったろう?」
歯の根が噛み合わないのを押し隠し、首を振る。開いた扉の向こう、外は雪明かりに白んでいた。幻想的なその明かりを背負って立っていたのは、真っ黒い影。目を開いたその影に、俺は一瞬、呼吸を止めた。
鬼火のような、碧の光。それは俺の導きだった。あの紅の奔流の中で、俺を救い上げた光だった。

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「俺は戦で二親を亡くした。その俺を拾ったのが、ルーク――王弟ルキウスだった。聖戦のために担ぎ上げられた、国王の妾腹の弟。ルークは王位継承を混乱させないために、辺境に身を引き、農民として暮らしていた」
そのルークが、戦場では比類なき名将だったというのは、幸か――不幸か。ルークは何も語らなかった。だが母を戦で失ったルークにとって、それが幸せだとは俺には思えなかった。
「そして、ルークはその戦績と戦場での姿からこう呼ばれた」
詩人は高音を一つ、投げるように鳴らした。
「何と?」
俺は喉を鳴らして笑った。それが如何にルークに似合わない異名だったか。そして如何に、残酷なまでにルークにそぐっていたかを、俺は知っている。
碧の光が眼裏に瞬いて、消えた。
「紅の天使」


というわけで、難産のイリアッド三。続きが書きたいよ〜。
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