那由多の果て

伝埜 潤の遺産。主に日々の連れ連れ。

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大河ドラマ。

何というか、追々拗れるというか既に拗れとるというか、直親はなかなかそこそこ横暴な男だな…。政次の胃が心配になるな…。今年の大河は半分くらい完全にローカル時代劇になるのね。彦根までちゃんと繋がるかな。
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東下り。

ストレスが溜まると、どこか遠いところへ行きたくなります。が、あんまり当てがあるわけでもなく、また徒然に水戸に行ってきます。

が。米原駅なう。雪。

前回より行政の対応が早かったようで(土日なのに)道路は何とか。新幹線の線路には常にスプリンクラーが稼働して雪を落としている。鉄子じゃないけど、こういう普段あんまり見られないもの見るの楽しいよね!

あ、まずい、乾雪だ。絶え間なく降り注いでいる。ちらちらというか、割りとダバダバ降っている。これはまだまだ積もるぞ…。帰って来たとき、車動くかな…。

因みに水戸は晴れてるそうな。
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見たい見たくない。

この世界の片隅で、がやっと近所の映画館に来るんだけど。見に行くかなぁ。いいのは知ってる。見に行くべき映画だと思う。でもなぁ。でもなぁ…。

どうも私は戦中の一生懸命生きる日本人を描いた映画だの小説だのは苦手だ。恐らく、かわいそうな惨めな戦中日本を描くものは、戦争を止める力を強く持たないからだ。たぶんこういう言い方はよくないのだけど、かわいそうぶって被害者としての側面だけ出しても、被害者にならなければいいという結論が出たら戦争肯定になるわけで、だから日本の戦争映画の奇妙に健気な人道的主題に、しっくりこないのかしら。

ちょっと思考が整理できないので、滅裂です。

蛍の墓は、監督がそれをものすごく自覚していらっしゃる。だからあの人は蛍の墓という強烈な映画にさえ、力がないと言ってしまう。じゃあ力のある映画とは?やはり日本を徹底的に加害者として描いたものだろうか。やむにやまれぬ事情とか、後悔とか葛藤とか描かずに徹底的に加害者として描いたものなら、戦争を忌避すべきものとして、示せるのだろうか。

自虐史観ではなく、我々は被害者ヅラをしていい立場ではないし、大本営や各種戦犯だけが悪いのではなく、何故なら彼らは我々を守るためにも戦った訳で、ならば我々もやはり同罪なのではないかと考える。

まぁ原爆に関してはあればアメリカによる正真正銘正義のない虐殺行為でありジェノサイドなので、あれに対しては被害者ヅラしていいと思う。

北原白秋童謡詩歌集を読んだ。後書きに「私の大好きな詩人たちが、「子どもだましで、戦争にかりたてた」と言われる少国民詩を、どうも本気で書いたのだ。」とある。この詩歌集に、北原先生の晩年の大作、カンタータ「海道東征」はもちろん、少国民詩と言われるいわゆる翼賛詩は載っていない。北原先生は文学の戦争責任において、真っ先に槍玉に上がるだろう。でも、彼にそれを書かせたのは誰だ。文学に戦争肯定を求めて、彼が好きだった林檎を書けないようにしたのは、我々ではなかったか。

因みに、なおもって海道東征を翼賛的なものに祀り上げようとするsk新聞には呆れてしまう。普通に見りゃあ聞きゃあ、美しい日本語の粋でしかないのに。

武者小路先生も公職追放の憂き目にあっているけど、あの人は根っから反戦論者なのに、何でだ。意味がわからん。彼は誰の責任を肩代わりしたんだ。やっぱり我々じゃないのか。

月吠え読んでからずっとこんなことを考えているのです。
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絶句とは。

そういえば、沈黙サイレンス、映画観ました。

絶句するとはこういうことか。もう一回みたら、ちょっと何か書く。
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明日には。

それだ!

間が開きました。その間、物知らずを解消すべく頑張ってました。

真砂ちゃんありがとう!それだ!月吠えにも彼登場するのに、何で結びつかなかったんだろう。
という訳で、中野シゲ先生について勉強しました。幸い、身近に図書館があるもので。中野重治詩集、評論集、教科書の詩をよみかえす、詩を学ぼうとする人へ、あたりを借りてきて黙々。久々に学問的な行為を貪っております。

月吠えのシゲは黒いマスクをしていて声がない設定で、理由が転向。何か既にヘヴィ。叙情的な詩を脱却する決意を書いたのが、件の「おまえは歌うな」、タイトルは歌。
どうも便覧じゃなくて、教科書に載っていたらしい。プロレタリア文学は政治思想文学という何だか矛盾含みの分野で、戦中はそれこそ目の敵にされて危険視されてたはず。そんなジャンルの詩が教科書に載っていたというのは、いい時代だな平成。できれば今後もそうあってほしい。

叙情詩人としての中野重治はそれこそ繊細な物憂げなうそうそとしたものを慈しむような作風で、個人的にはそっちも大好きなんだけれど、同じ口であんなに強い言葉を扱うのね。転向後もプロレタリア詩しか書けないといい、それこそプロレタリア最後の戦士みたいな感じになり、戦後の議員時代は論戦にめっぽう強かったみたいなので、月吠えの、眉のきりっと吊り上がった目力のあるキャラクターも頷ける。鉄骨のような気概が背骨を貫いているイメージ。しかししんどい生き方をする人だな。評論集を読んでいるとほんとにそんな感じ。

この人の偉いところとしんどいところは長生きしたところかな、と思った。小林タキジをえらかった、と月吠えの中で評する場面があるけど、この人も大概だと思う。だって死んだらそれまで。続きが書けない。実は党生活者の後編はちょっと読みたいなと思っております。あれどう見ても前編で終わってる。そういう意味では小林タキジは何を折っても死ぬべきじゃなかった。まぁ最初から殺すつもりをされてたんだから、彼の責では断じてないんだけど。あのときの日本はそのジャンル故に、一人の稀有な文学の天才をあっさり葬った。それを思うと、件の「おまえは歌うな」が、教科書に載っていたことがあるというのは素晴らしいことなんじゃないのかしら。

明日は虐殺器官の公開だよ!伊藤御大のまさかのデビュー作にしてSF界をひっくり返した作品の映像化だよ!本人に本当に見てほしい。そしてキネマトリクスに書いてほしい。酷評でもいいから。それで新しい作品を書いて、また映像化してほしい。本当は虐殺器官は実写にしてほしかった。今回の映画が上手くいったらチャンスあるかな。

何の話してたんだっけ。とりあえず、好きな字書きさんには長生きしてほしいなって話かな。
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